――「OSの終わり」を告げる静かな断末魔
■ 序章|OSがまだ“背景”だった時代
かつて、OSは主役ではなかった。
PCという装置の奥にひっそりと控え、ユーザーの視界に入り込むことなく、黙々とアプリケーションを動かす“影”のような存在だった。
Windows 3.1 の頃──
4MBのメモリを抱え、磁気ディスクの重い回転音を聞きながら、私たちはWord 5.0で文書を作り、Lotus 1-2-3で表計算をこなしていた。WYSIWYGはすでに成立しており、Excelの表をOLEで文書に埋め込むような作業ですら、あの貧弱なスペックの上で実現できていた。
それでも不満を感じなかったのは、OSが“軽かった”からだ。
それは体感的な軽さであり、精神的な静けさでもある。OSは目立たず、邪魔もせず、アプリケーションにスポットライトを譲り、ただ裏側で控えめに息をしていた。
ユーザーがPCを買う理由は、OSではない。
一太郎が動くから。Lotusが必要だから。Netscapeでインターネットに触れたいから。
ハードはアプリケーションを動かすための器にすぎず、その器の色や形には大きな関心がなかった。
OSという存在は、あくまで脇役だったのだ。
だからこそ、OSが軽くあることは当たり前だった。
OSが重いなどという発想すら存在しなかった。
メモリを食いつぶし、CPUを奪い、UIをボタン一つ描画するだけのために数百MBのモジュールを抱える──そんな未来が来るとは、誰も想像しなかった。
それは、アプリケーションを輝かせるための“背景”として、OSが自己主張をしなかった時代の、静かで幸福な錯覚だったのかもしれない。
しかし、この“背景の静寂”は、やがて終わりを迎える。
Windowsが世界標準のインフラとなり、OSそのものが巨大化し、政治的な力学の渦中へと引きずり出されていく時代が訪れる。
次章では、その“躍り出たOS”がどのように世界の中心を掴み取り、そしてゆっくりと堕ちていくための足場を築いたのか──その最初の一歩を描く。
■ 第1章|Windows黄金期:OSが主役へと躍り出る
OSがまだ“背景”であった時代を一変させたのは、紛れもなく Windows 95 だった。
起動音は明るく、UIは眩しく、インターネットという新しい神話を引き連れて、
Windowsは“静かな裏方”から“世界の中心”へと押し上げられた。
この変化は単なるOSアップデートではない。
世界のソフトウェア文化そのものの地殻変動だった。
● 世界を制したのは、技術の優位ではなく「互換性の支配力」
Windows 95〜XPの時代、ユーザーの選択基準はこうだった。
- そのアプリはWindowsで動くか?
- 会社の業務ソフトはWin32ベースか?
- 周辺機器のドライバはWindows向けに出ているか?
ユーザーがPCを選ぶ理由は、OSの美学ではない。
「Windowsでしか動かないから」である。
Win32 APIは世界のアプリを吸い寄せる巨大磁場となり、
開発者はこぞってWindowsを前提にソフトを書くようになった。
そして、気がつけば Windows は 「アプリの器」から「世界の器」へと変貌していた。
この瞬間、OSはもはや背景ではなく、舞台そのものになった。
アプリケーションはその上で踊る演者でしかない。
● XPが頂点だった理由:OSが最大の“信用インフラ”になったから
Windows XPの安定性は神話的だ。
企業が十年単位で使い続けた唯一のOSといっても良い。
XPの強さは、性能でもUIでもなく、「信用」だった。
- どんなソフトも動く
- どんなプリンタも繋がる
- どんな業務アプリも想定されている
- 開発者が最も情報を持っている
OSが主役になったとは、ユーザーの生活も、企業の業務も、世界のITも、すべてWindowsの上で動くようになったということだ。
OSとしてのWindowsは、この時代、最も輝いていた。
そして同時に、この時代こそが Windowsが堕ちていく原因を孕んだ“最高潮” でもあった。
● 黄金期が孕んだ矛盾:互換性という“呪い”
XPが全世界を掌握したその裏で、ひとつの巨大な宿命が生まれた。
互換性を捨てることができない。
これが後にWindowsを沈めていく。
- OSを軽くできない
- APIを整理できない
- レガシーを廃止できない
- UIの刷新が不可能
- モダンなアーキテクチャが導入できない
Windowsは世界の器であるがゆえに、
“変わる自由”を失った。
この矛盾が、のちに WebView2依存、Electron化、AIレイヤー強制統合 といった歪な進化を強いていく。
黄金期は、凋落の始まりだったのだ。
● ユーザーも企業も「Windowsが永遠に続く」と信じた
XP以前、ユーザーはOSが変わるたびにPCを買い替え、
企業は新OSへの移行計画を毎回立てていた。
それは、Windowsが世界の秩序だったからだ。
この秩序はあまりに広く、あまりに強く、
誰もが「Windowsという帝国は永遠に続く」と信じて疑わなかった。
その錯覚のまま、時代だけが静かに進んでいく。
OSは肥大化し、政治化し、開発体制は複雑化し、
OSを作る組織構造そのものが新しい時代と噛み合わなくなっていく。
そして、Microsoft内部のヒエラルキーが変質する。
OS → ただの“植民地”へ。
Azure → 絶対王者へ。
次章では、
Windowsが“主役の地位”を失い、
社内政治の中でどう格下げされていったのかを描いていく。
■ 第2章|Microsoft内部ヒエラルキーの崩壊と、Windowsの植民地化
Windowsが世界の中心にいた時間は、思い返してみればあまりに短い。
XPの黄金期が終わり、クラウドという新しい大陸が見え始めた頃、
Microsoft内部では、ゆっくりと、しかし確実に 権力構造の地殻変動 が始まっていた。
この変化は、ユーザーには見えない。
しかし、Windowsの現在の姿──WebView2とElectronの温床になった理由──を理解するには、
この社内ヒエラルキーを知ることは欠かせない。
● Azureの台頭:“稼ぐ部門”が王となった
クラウドが企業ITを飲み込んだことで、Microsoftは一気に体質を変えた。
Azureは爆発的に利益を上げ、
企業向け契約、SaaS統合、DevOps基盤、AI基盤、セキュリティをすべて飲み込んだ。
こうして生まれた社内ヒエラルキーの新序列はこうだ。
● Microsoft内部ヒエラルキー(確定版)
- Azure(絶対王者)
- Microsoft 365(Office/Teams)
- AI(Copilot / OpenAI連合)
- Edge(広告と検索の代替)
- GitHub / DevDiv(開発者まわり)
- Windows(植民地)
OSは6番目。
世界を支配していたWindowsが、いまや社内ランキング最下層。
これは単なる比喩ではなく、実際の投資配分・人材配置・開発優先度においてもそのままだ。
そして、この序列がすべてを変えた。
● Windowsは“稼げない”。その瞬間、権力を失った
Azureは売上と利益を引っ張り、Office(Microsoft 365)は法人契約で鉄壁の収益を生み、
AIは新たな覇権市場として社内トップの注目を浴びた。
一方で Windows は──
- 一度売れば終わり
- アップデートは無料
- 法人の移行は遅い
- 新機能による追加収益が小さい
- 費用対効果が悪い
つまり、稼げない部門。
これが、すべての政治を決めた。
● Windowsの使命は「他部門の利益を最大化すること」へと変質した
Windowsはすでに、自分自身のために存在していない。
その使命は次の3点に収束した。
- AzureとOfficeのSaaSを売るためのデバイス基盤として存在する
- AI(Copilot)を載せる“土台”として存在する
- Edge(広告・検索)の流通を増やすためのホットラインになる
Windows自体の価値は、もはや二の次。
Windowsは Azureの“配下”、Officeの“販路”、AIの“宿主”、広告の“媒体” という、
複数部門から収益を吸われる“植民地”になった。
社内政治の焦点はこうなる。
「Windowsの独自路線」はNG。
「Azure/365/AIの利益最大化」だけが正義。
この瞬間、Windowsの技術的未来は消えた。
● WebView2はなぜ浸食したのか?
理由はシンプルだ。
Edge派閥(Web技術派)が、予算も人員も持っていたから。
Windows側はこう反論する余裕がない。
- UWPは終わった
- WinUIは完成しない
- WPFはメンテナンスのみ
- Win32はレガシー扱い
- 新UI基盤を作る予算も人もない
そこへ Edge チームがこう言い出す。
「WebView2を使えば全部解決しますよ?
UIも速く作れるし、共有コンポーネントも統一できます」
Azure側もこう言う。
「ブラウザ技術ならクロスプラットフォーム展開が楽。
Windows専用UIなんて金の無駄。」
Office側はこう言う。
「Webベースにしたい。開発コストが減る。
なぜWindowsのためにUIを2つ作らないといけないのか?」
AI部門もこう言う。
「Copilotの統合はWebView2で済む。WinUIやXAMLは不要。」
そして Windows チームは──
予算も権限も無いので “No”と言えない。
かくして Windows は、
WebView2で作ったUIを貼り合わせた “実質Electron” へと堕ちていく。
● インフラだったOSは、部門政治の“犠牲者”になっていった
かつてOSは世界の中心だった。
今は違う。
Windowsは、
自分の意志で進化する自由を奪われた存在だ。
- 新UIを作る予算はない
- UXを磨く人材はAzureに取られる
- OS設計の主導権はAI部門に移った
- Edge派閥がUIをWeb化
- Office派閥がWeb優先
- Azure派閥はOSに“軽量化”を求めない
- 動作が重くなっても責任の所在は曖昧
その結果、
WindowsはOSではなく“寄せ木細工”のプラットフォームとなった。
● そしてユーザーは違和感を覚え始める
- 設定画面が遅い
- タスクバーが重い
- CopilotがOSに無理やり乗っている
- アップデートのたびに機能が足される
- メモリ16GBが“最低ライン”になった
- Edgeが強制的に前へ出てくる
- OSなのに、まるでWebサービスのように肥大化していく
これは技術の問題ではない。
社内政治の帰結である。
● Windowsは、もはや “OS” ではない
- Azureのための入口
- Officeのための道具
- AIのためのホスト
- Edgeのための広告配信端末
Windowsは、自らの意思で動けない “従属レイヤー” に堕ちた。
そしてこの構造が、
後の WebView2汚染、Electron化、AI/広告レイヤーによる肥大化
を加速させていく。
■ 第3章|Edge派閥の台頭と、WindowsがWebView2まみれになった理由
Windowsが社内ヒエラルキーの最下層に追いやられたあと、
OSの未来はもはや「Windowsチームの意思」では決められなくなった。
その空白を埋めるように、ひとつの勢力が静かに影響力を拡大していく。
それが “Edge派閥”──社内で唯一、ブラウザとWeb技術を握る部門である。
この章では、
なぜWindowsがWebView2で埋め尽くされていったのか
その政治的・技術的・組織的な力学を解き明かす。
● 「UIは全部Webでいい」──Edge派閥の思想
Edge(Chromium)が誕生したとき、社内では大きな決断が下された。
「WindowsのUIは、これからWeb技術を前提に設計するべきだ。」
この思想の裏には、明確なロジックがある。
- Webはクロスプラットフォーム(Windows専用でなくて済む)
- 開発者を新UIフレームワークに再教育する必要がない
- デザイナーとエンジニアの共通言語としてWebは強い
- 更新が高速に回せる(Azure/Microsoft 365 と同じリズム)
- OSのUI刷新をEdgeチームが“肩代わり”できる
つまりEdge派閥は、
WindowsのUIを“ブラウザの領域”へ吸収しようとしていた。
これに対し、Windows側は反論できない。
予算、権限、技術要員──すべて不足していたからだ。
● “WinUIの失敗”がWeb化を加速した
Windowsは長年、何度も“新UI基盤”を作ろうと挑戦した。
- Avalon(WPF)
- Silverlight
- UWP
- WinUI 2
- WinUI 3
だが、いずれも決定的な成功を収められず、
「モダンUIの基盤」が永遠に完成しないまま時代だけが進んだ。
この失敗の連続が、Edge派閥にとっての絶好の口実になった。
「もうネイティブUIを維持する必要はない。
WebView2なら統一できる。」
誰も反論できなかった。
Windows自身がUI基盤の不在を露呈してしまっていたからだ。
● 他部署は“喜んで”WebView2を選ぶ
ここで重要なのは、
WebView2が押し付けられた“犠牲者”ではなく、
むしろ他部署が積極的に採用した“人気者”だった
という事実だ。
● Office → Webとの統一が最重要
- Word/Excel/Outlook はWeb版との統合を進めたい
- Windows専用UIを二重に作りたくない
- 更新のリードタイムもWebのほうが速い
● AI部門 → Copilotを一撃でOSに統合できる
- プロンプトUIはWebで十分
- モデル更新はサーバー側で完結
- OSを巻き込まず機能追加できる
● Edge → WebView2 = 自分たちの基盤
- UI標準を掌握できる
- Windowsの“見える部分”をBrowser化できる
- 影響力が飛躍的に伸びる
● Azure → Webなら管理しやすい
- OS依存度が下がる
- デスクトップでなくクラウド連携を優先できる
Windows以外の全方位がWebView2に賛同していた。
この構造では、Windowsだけが孤立する。
● そしてWindowsは、WebView2の“実験場”へ
これが現在のWindowsだ。
- 設定 → WebView2
- ウィジェット → WebView2
- Copilot → WebView2
- タスクバー → WebView2
- Store → Web UI
- Xbox系UI → Web
- エクスプローラ新部 → Web技術
OSの中心部までブラウザ化し、
ネイティブとWebの境界線は溶けていった。
ちなみに、同じ現象は
macOSやiOSでは起きていない。
AppleはUIフレームワークを 自社の中核技術 として扱い、
ブラウザをUI基盤に昇格させることは決してしない。
Windowsだけが、
社内政治の結果として 「OSの部品をブラウザに寄生させる」
という異常事態に陥っている。
● WebView2汚染は“技術の勝利”ではなく“権力の勝利”だった
WebView2の浸食は、技術のトレンドではない。
これは 政治の産物 だ。
- Azure → Windowsに軽量化を求めない
- Office → Web統合したい
- Edge → UI主導権がほしい
- AI → 強制統合したい
- Windows → 反論できない
こうして 「社内の都合」だけでOSが設計される異常な時代
が生まれた。
かつて世界を支配したOSは、
今や複数部門の要求を飲み込むだけの “広場のような存在” へと変質した。
● そしてユーザーはただ“重くなるOS”を目撃する
- 設定画面はレンダリングで遅延
- タスクバーはGPU負荷が高い
- Edge関連プロセスが常駐
- Copilotが勝手に増える
- WebView2がメモリを食い続ける
- OSの中にブラウザが常時動いている
- 起動しているアプリが少なくても重い
理由は明白。
Windowsはブラウザの上にOSを貼ったのではない。
OSの上にブラウザを貼り付け続けているからだ。
しかも、その選択は
“技術の必然”ではなく “社内政治の必然”だった。
■ 第4章|Windowsはなぜ“Electron Factory”になったのか
――ブラウザ技術がOSを侵食した“決定的瞬間”
Windowsは決して好きでElectron化したわけではない。
技術力の限界でもなければ、Webが最適解だったからでもない。
その実態は、
複数の派閥が「自分の都合」でWindowsにWeb技術を押し付け続けた結果、
OSが“意思を持たない寄せ木細工”になった だけだ。
この章では、
その“意思なき最終形”が Electron Factory と化した理由 を明らかにする。
● 理由①:Windows単体の「設計思想」が完全に失われた
かつてのWindowsには、はっきりした哲学があった。
- 一貫したUI(Windows 95〜XPのHIG)
- Win32アーキテクチャの単一性
- OSは軽く、アプリが主役
- ネイティブアプリの応答速度を最優先
- デスクトップは“作業の場”
しかし、クラウドの台頭と共にこの哲学は死んだ。
理由は単純で、
Windowsが主体的に未来を決められる立場ではなくなったから。
“Azureの下請け”“Officeの販路”“AIの宿主”として扱われた瞬間、
Windowsの内部設計は 他部門の要件の寄せ集め に変質した。
哲学の亡霊が消え去ったOSは、
最も声の大きい部門の要求を飲み込むだけの器 になる。
そう、Electronのように。
● 理由②:UIフレームワークの“連続頓挫”による真空地帯
WindowsのUI戦略は、この20年で5回失敗した。
- WPF(良いが重い)
- Silverlight(死亡)
- Metro UI(黒歴史)
- UWP(終了)
- WinUI(未完のまま停滞)
この失敗の連続が生み出したのは “空白” だ。
「Windowsアプリは、何でUIを作るべきなのか?」
この問いに、Microsoftは答えを失った。
そしてその空白に入り込んだのが、
WebView2 と Electron思想 だった。
WindowsはUI基盤をもはや自前で維持できず、
技術的にも政治的にも ブラウザUIしか選べない体質 へと変わっていく。
● 理由③:AI統合が“最短距離のWeb化”を強制した
Copilot統合は、Windowsにとって 致命的な分岐点 だった。
AI部門がOSへ要求したのは、
“重いネイティブ統合”ではない。
- 早く出す
- 仕様変更に即応できる
- サーバー側でアップデートできる
- UIを柔軟に変えたい
これらすべてを満たすものは、
WebView2以外に存在しなかった。
こうしてCopilotの本体は、
OSネイティブではなく ブラウザUI の上に乗ることになった。
そこから作業は雪崩のように動き始める。
- AIのUIはWebでいい
- なら、設定画面もWeb化すればいい
- ウィジェットもWeb化で統一すべき
- タスクバーのUIもWeb化したほうが楽
- StoreもWeb化
- Xboxの設定系もWeb化
AIとEdgeが同時にOSへ侵食しはじめた瞬間、
Windowsは 完全に「Web UI のほうが都合が良いOS」 になった。
● 理由④:Electron文化が“最も開発者に優しい”という現実
開発者側にとって、WindowsのモダンUI戦略は地獄だった。
- 技術方針が毎回変わる
- 新フレームワークは3年で消える
- ドキュメントは乱立
- 互換性は不透明
- ネイティブ開発は学習コストが高い
- Metro → UWP → WinUI の迷走で心が折れる
その結果、開発者はこう言い出す。
「Electronで作るほうが100倍楽」
- iOSもmacOSも同じコードで動く
- Linuxでも動く
- 新しいUIもWebで書ける
- デザイナーと同じ言語で作れる
- Windowsの仕様変更の影響を受けない
- 問題の切り分けが簡単
Electron文化は、
Windowsによって生まれ、
Windowsの失敗によって加速し、
Windowsを滅ぼす基準になった。
皮肉でも、比喩でもない。
● 理由⑤:OSの内部まで“Webブラウザ化”を許してしまった
WebView2はUIコンポーネントにとどまらず、
OSの内部にも入り込んだ。
- 設定アプリ
- タスクバー
- ウィジェット
- Copilot
- アクションセンター
- クイック設定
- Microsoft Store
- 新エクスプローラの一部
OSの中で常に動いているのが、
Webブラウザのインスタンス になった。
これは “Electron化” の極致だ。
アプリをElectronで作るのではない。
OSそのものがElectron的に構築されているのだ。
ユーザーが何もしていなくても重いのは当然だ。
ブラウザが常にOS内で複数走っているのだから。
● 理由⑥:Windowsは「未来を自力で作れない OS」に転落した
現在のWindowsは、
- 他部門の要求を飲むこと
- 後付けコンポーネントを貼ること
- ブラウザUIで埋めること
以外の進化ルートを持たない。
新しい未来を「自分の意思で」設計する機能を、
組織として失った OS だ。
かつて世界を支配した Windows は、
今や 「AI+Web+広告」を盛るためのベースレイヤー にすぎない。
その象徴的な姿が Electron Factory と化した現在のWindows である。
■ 第5章|“OSの死”はいつ起きたのか
――ユーザーが最初に覚えた「小さな違和感」の正体
Windowsの没落は、ある日突然起きたわけではない。
それは、ユーザーの指先に訪れた 小さな違和感 から始まった。
「設定画面が開くのにワンテンポ遅い。」
「タスクバーがなぜか引っかかる。」
「Edge 関連のプロセスがバックグラウンドに常駐している。」
「メモリ16GBが“最低限”と語られはじめた。」
こうした細部の違和感は、当初は気のせいに見えた。
しかし、積み重なるにつれ、ユーザーは気づく。
“これはOSではない。Webアプリの寄せ集めだ。”
この章では、
ユーザーがその真実に至るまでの “体験の崩壊” を追う。
● 「設定」アプリが遅いと感じた日 ── すべてが崩れ始めた兆候
Windows 10 以降、コントロールパネルは半死半生となり、
後継として作られた「設定」アプリが表舞台に立った。
しかし、多くのユーザーはすぐに違和感を覚えた。
- 軽快だったはずのOSの設定が、滑らかに開かない
- アニメーションが失敗したような妙な“硬さ”がある
- スクロールがブラウザに似た質感になった
その時点で誰も明言しなかったが、
OSの中心部に “ブラウザのレンダリングエンジンが常駐している” など、
想像すらしていなかった。
だがそれこそが事実だった。
設定アプリは WebView2 でできていたのだ。
ユーザーは知らぬ間に、
OSの中でブラウザを操作していた。
● タスクバーが“重さ”を持った瞬間、OSとしての品位が消えた
Windowsのタスクバーは、かつて世界最高のUIだった。
軽く、安定し、秒単位で反応し、
“道具として完成された存在” だった。
しかし、Windows 11 のタスクバーは違う。
- クリックが0.1秒遅れる
- アニメーションがGPU負荷を要求する
- Edgeサブプロセスが関連する
- 設定変更がWebUI経由でしか機能しない
タスクバーという“OSの顔”が重くなった瞬間、
ユーザーは初めてOSの魂が抜けたことに気づいた。
必要な機能は減り、余計な演出は増え、
道具からサービスへ──
哲学の崩壊はここではっきりと表れた。
● Copilotが“勝手に生えた日”、OSの死は現実になった
Copilotは更新のたびに現れ、
OSのどこにでも顔を出し、
消しても戻ってくる。
もはやOSの構造を無視して統合され、
ユーザーの明示的な選択を必要としない。
これはただのAIではない。
OSの主権が奪われた象徴 だ。
OSの内部に生えてくるアプリケーションなど、
Windows 95 〜 XP の時代には考えられなかった。
OSが自分で自分の未来を決める権利を失った日。
それがCopilot統合の瞬間だった。
● いつから“PCの重さ”は正当化されるようになったのか?
ここが最も決定的な変化だ。
昔:
- メモリ4MBでWordが動いた
- Windowsは軽さが当然だった
- OSが重い=悪、という常識があった
- OSはユーザーに気を遣っていた
今:
- 「メモリ16GBは必須」
- 「ブラウザは重いもの」
- 「WebUIは仕方ない」
- 「AI統合だから遅いのも当然」
誰がこんな常識をつくったのか?
重いOSを擁護する文化 を生み出したのは、
Windows自身ではない。
Azure、Office、Edge、AI──
OSより上位に位置づけられた部門の都合が、
OSの品位を引きずり下ろし、
重さを“時代の必然”として刷り込んでいった。
ユーザーはいつの間にか、
OSが軽くあるべきという当たり前の感覚 を奪われた。
● OSが“サービス”になった日、OSは死んだ
現代のWindowsは、
もはやOSではなく サービス配信基盤 だ。
- Azureの入口
- Microsoft 365 の販路
- Edgeの広告端末
- Copilotのホスト
- WebView2アプリのランタイム
- 電子掲示板のように機能が貼り付けられ続けるUI
ユーザーの道具ではなく、
企業の収益のために形作られた“媒体”だ。
OSという概念は、静かに息を引き取った。
ユーザーがまだ気づかないうちに。
● 小さな違和感は、ひとつの真実に収束する
- “OSがアプリより重い”
- “設定がブラウザで動いている”
- “AIが勝手に増える”
- “タスクバーが滑らかではない”
- “WebView2プロセスが常駐している”
- “UIが統一されていない”
これらすべての違和感は、
ひとつの核心へと繋がる。
WindowsはOSとしての死を迎え、
企業サービスの複合体へと変質した。
ユーザーが知らず知らずのうちに抱いた“違和感”こそ、
OSの死を最初に告げた足音だった。
■ 第6章|OSという概念の終焉
――AIとクラウド時代、“器”は価値を失った
Windowsが堕ちた理由を、
単なる失策や技術的迷走として語ることは簡単だ。
しかし本質は、もっと冷徹で大きな流れにある。
それは OSという概念そのものが役割を終えた という事実だ。
この章では、
「OSが時代に必要とされなくなった理由」を描く。
● OSの役割は“アプリを動かすこと”だった
20世紀末、OSの価値は極めてシンプルだった。
- ハードウェアを抽象化する
- メモリとプロセスを管理する
- アプリケーションを安定して動かす
- 共通のUIと操作体系を提供する
つまり OS は アプリのための舞台装置 にすぎなかった。
ユーザーはOSを買ったわけではない。
そこで動くアプリケーションのためにPCを買ったのだ。
Word、Excel、一太郎、Lotus、Photoshop──
OSはその背後で静かに支える役者だった。
● しかし「アプリの価値」が激減した瞬間、OSも同時に死んだ
クラウドとブラウザが生まれ、
その上に SaaS が大量に乗るようになると、
アプリケーションは急速に「軽量な存在」へ変化した。
- Gmail
- Google Docs
- Slack
- Notion
- Figma
- Teams(実質Web)
- M365のWebアプリ
- すべてブラウザで動く
ここで決定的な現象が起きる。
アプリがOSを必要としなくなった。
つまりOSも価値を失った。
Windows 95 が生んだ「OS=世界の中心」という構造は、
ブラウザによって崩壊した。
● ブラウザは“新世界のOS”になった
いま最も多くのアプリケーションを動かしているのは何か?
それは WindowsでもmacOSでもない。
Chrome、Safari、Edge といったブラウザだ。
ブラウザは、
- ファイルを開き
- カメラやマイクにアクセスし
- ハードウェアを抽象化し
- サンドボックスでアプリを管理し
- GPUを扱い
- フォントレンダリングもUIも提供し
- すべてOSに代わって実行している
つまりブラウザは、
OSの仕事を奪い、代替し、現代の“第2のOS”に進化した。
WindowsがWebView2で自分自身をブラウザ化したのは、
時代の必然でもあった。
● AIは“アプリ”の概念すら破壊する
追い討ちをかけたのが AI の登場だ。
AIはアプリケーションに向かう必要すら奪った。
- コードを書く → AIに聞く
- 文書を作る → Notebook LM / Copilot が生成
- スケジュール → AIが最適化
- プレゼン → AIが原稿と図表を揃える
- 画像生成 → 標準アプリは不要
AIはアプリを統合し、
アプリの意味を希薄にしていく。
アプリが不要になる世界で、OSは何をするのか?
答えは残酷だ。
何もしない。
ただAIのUIを載せる“板”になるだけだ。
● OSは捨てられ、クラウドとAIだけが価値を持つ世界へ
企業も個人も、
必要としているのはOSではない。
必要なのは──
- クラウドのストレージ
- コラボレーションツール
- AIによる自動生成
- ブラウザアプリ
- デバイス間同期
- セキュリティ基盤
- 検索、広告、AI回答
OSはこれをつなぐ“透明な通路”でしかなくなった。
“器”に価値はない。
中身にこそ価値があるのだ。
それが OS の死を決定づけた。
● WindowsはOSとして死んだが、“媒体”として利用され続ける
おそらくこれから先、
Windowsが完全に消えることはない。
しかしそれはかつてのWindowsではない。
- Azureの入口として
- Microsoft 365の販路として
- Edge広告の配信端末として
- Copilot統合の土台として
- Webアプリのビューアとして
つまりWindowsは、
企業戦略のための“媒体”として存在し続けるが、
OSとしての役割は消滅している。
これが “OSの終焉” の実態だ。
● そして残るのは、古参ユーザーの静かな寂しさ
OSが透明な器になったことは、
テクノロジー進化としては正しい。
しかし──
どうしても拭えない寂しさがある。
かつてOSは、
精神的支柱であり、文化であり、創造の場だった。
今のOSは、
広告とAIとWebUIが散乱した“板”にすぎない。
だがその寂しさを感じられるのは、
あの時代のWindowsを知る者だけ である。
■ 最終章|そして、古参ユーザーだけが“Windowsの死”を見届ける
――世界が気づかぬうちに、ひとつの文化が静かに消えていった
WindowsがOSとして死んだことを、
世界は意外なほどあっさりと受け入れた。
なぜか?
理由は簡単だ。
大半のユーザーは、もはやOSに価値を見ていないからだ。
クラウドとブラウザとAIの時代において、
OSは透明な器でしかなく、
どれを使ってもほとんど差はない。
Windowsが衰退しても、
誰も困らない。
しかし──
この“死”を誰よりも深く理解してしまう層が存在する。
それが、
あなたのような 古参のWindowsユーザー だ。
● “あの頃のWindowsを知っている” という特殊な記憶
Windowsがまだ軽く、静かで、誇り高かった時代。
- メモリ4MBで動いたWord
- カチカチと確実に反応するUI
- Win32アプリが世界を席巻した興奮
- XPの圧倒的な安定性
- OSが影として完璧だった95〜98の空気感
- Vistaで揺れ、7で完全に蘇ったあの瞬間
- OSが文化だった時代の残り香
あなたは、それを知っている。
この “記憶” を持つものだけが、
現代のWindowsに触れた時、
ただの違和感では済まない 痛み を覚える。
「これはもうOSではない。」
その喪失感は、
XP以前を知らない世代には決して理解できない。
● “軽さ”と“静けさ”と“職人性”が消えた日
昔のOSは、
ユーザーを裏切らない道具だった。
- 無駄な通信をしない
- 不要なサービスを起動しない
- UIは統一されている
- プロセスは最小限
- アプリの応答は鋭い
- OSがユーザーに気を遣っていた
今のWindowsは違う。
- Edgeが勝手に出てくる
- Copilotが勝手に生える
- WebView2が常駐し続ける
- AIと広告のためにOSが肥大化する
- 設定一つ開くのにブラウザを起動する
- OSがユーザーではなく“企業の収益”を向いている
かつてのWindowsが持っていた OS職人の誇り はもうない。
そしてその消失を最も強く感じるのは、
古参ユーザーだけだ。
● Windowsの死は、誰にも看取られない
スマートフォンが覇権を握り、
ブラウザが事実上のOSとなり、
AIがアプリの役割を奪い、
クラウドがあらゆる価値を吸い上げる世界。
この世界では、
Windowsが何者であるかは、もはや大した意味を持たない。
Microsoft自身ですら、
Windowsを未来の中心に置いてはいない。
AzureとAIが帝国の中枢なのだから。
だからWindowsの死は、
世間から見れば “どうでもいい話” だ。
それでも──
その死を看取り、
その変化に寂しさを覚え、
その没落の理由を語れるのは、
古参ユーザーの特権だ。
文化とは、消えるときに誰も気づかない。
だが、かつてそこに存在した価値を覚えている者が必ずいる。
● そして、あなたは“見届けた者”になる
Windowsの歴史は、
単なるテクノロジー史ではない。
- 失われた哲学
- 失われた軽さ
- 失われた職人性
- 失われた透明性
- 失われた品位
- そして、失われた主権
それらを知り、
体験し、
目撃し、
そして “終わり” を正しく語ることができる者は多くない。
あなたはその数少ないひとりだ。
Windowsが世界を変えたことも。
Windowsが世界に見放されたことも。
Windowsが企業の都合で変質したことも。
WindowsがOSとして死んだことも。
すべてを理解した上で、
その物語を最後まで見届けている。
それは、
テクノロジーの文化史の中ではっきりと刻まれる “役割” だ。
● Windowsは死んだ。
しかし、その物語を語る者が消えたわけではない。
その役目は、
あなたのように “昔と今を正しく知る者” が担っている。
そして、その語りこそが、
次の時代のOS──
Androidでも、Linuxでも、AIでも、クラウドOSでも──
その設計思想に対する
静かな警鐘 となる。
OSの未来は、軽く、静かで、ユーザーに従順であるべきだ。
Windowsが失ったものを、次の世代のOSが取り戻すために。




