2025年、Google は
「生成AIチャットボット Gemini に広告を導入する計画がある」
という一部報道を公式に否定している。

実際には、その少し前の2024年11月、Google検索のAIモード(AI Overviews / AI Mode)において、試験的に広告が表示されていることが明らかになっている。
つまり、Googleが「AI関連プロダクトに広告を載せない」と言っているわけではない。
重要なのは、否定の対象がGeminiそのものである点だ。
「Geminiの対話回答の中に広告が混ざる」
という形について、Googleは明確に距離を取っている。
言い換えれば、
検索結果やAIモードに広告が出る可能性と、
Geminiの“回答そのもの”に広告を入れることは、
Googleの中で明確に切り分けられている。
ここまでは、あくまで事実だ。
そして、ここからが思考ゲームになる。
この事実をそのまま受け取ったとき、問いはこう変形する。
Googleは
「AIには広告を入れない」のではなく、
「AIが判断主体になる場所には、広告を入れない」
と言っているのではないか。
Geminiは、単なる検索結果の要約ではない。
ユーザーの意図を解釈し、選択を絞り、場合によっては結論を提示する存在だ。
その“思考の途中”や“答えそのもの”に広告を混ぜることは、
従来の広告モデルとはまったく別のリスクを生む。
では、広告を入れないなら、どうやってマネタイズするのか。
あるいは、そもそも広告という形を使わない構造を目指しているのか。
本稿は、その答えを断定するものではない。
あくまで、いくつかの事実と設計思想を並べて眺める、思考ゲームだ。
だが、
「Geminiに広告を入れない」という一点を真面目に受け止めたとき、
広告とは異なるマネタイズの輪郭が、意外なほど自然に浮かび上がってくる。
ここから先は、その構造を順にほどいていく。
「広告は入れない」という発言を、そのまま信じてみる
Google は、生成AIアシスタント Gemini に広告を入れる予定はない、と繰り返し述べている。
この発言は、AI時代の広告モデルを巡る議論の中で、しばしば「建前」や「時限的な方便」として受け取られてきた。
だが、ここではあえて疑うのをやめてみる。
この思考ゲームの前提は単純だ。
Googleは本当に、Geminiに広告を入れない。
この前提を受け入れたとき、問いは別の形に変わる。
「広告を入れないのに、どうやってマネタイズするのか?」ではない。
「広告という形を使わずに、どこで価値を回収する構造を作ろうとしているのか?」 だ。
重要なのは、「広告を入れない=収益化しない」ではない点である。
Googleはこれまでも、広告と呼ばれない形で巨大な収益回路を構築してきた。
検索、地図、動画、モバイルOS。いずれも“無料”を装いながら、経済圏の中心に据えられている。
Geminiもまた、その延長線上にあると考えるのは自然だ。
ただし、従来と決定的に違うのは、Geminiが意思決定を行う主体になりうる点である。
このとき、従来型の広告――とりわけ入札制による露出競争――は、本当に相性が良いのだろうか。
次のブロックでは、まず「広告とは何か」を整理する。
そこから、なぜこの仕組みが Universal Commerce Protocol の思想と噛み合わないのかを見ていく。
そもそも「広告」とは何か
ここで一度、言葉を整理しておく必要がある。
なぜなら、この思考ゲームの要点は「広告をやめるかどうか」ではなく、何を広告と呼ぶかにあるからだ。
一般に広告とは、第三者が対価を支払い、露出や順位を獲得する仕組みを指す。
検索連動型広告やディスプレイ広告に代表されるように、そこでは入札が行われ、表示は金額によって決まる。
このモデルの特徴は明快だ。
表示の責任は広告主にある。
合わない商品が出てきても、それは広告の宿命であり、プラットフォームは「場」を提供しているだけだという建前が成り立つ。
この構造は、検索という行為と非常に相性が良かった。
検索は曖昧で、意図も広い。
「とりあえず探す」「比較したい」「まだ決めていない」――そうした状態では、広告が混ざっていても大きな問題にはなりにくい。
だが、生成AIが前面に出てくると話が変わる。
Gemini のようなAIアシスタントは、単に候補を並べる存在ではない。
ユーザーの意図を解釈し、選択を絞り込み、ときには結論そのものを提示する。
このとき、表示された結果は「参考情報」ではなく、判断の代理になる。
もしここに従来型の広告、つまり入札制で順位が決まる要素を混ぜたらどうなるか。
表示された商品やサービスが、AIの判断ではなく、支払額によって選ばれていた場合、その判断の責任は誰が負うのか。
答えは曖昧になる。
だが一つだけ確かなことがある。
AIは、信頼を失う。
広告モデルは、責任の所在を巧妙に分散させることで成立してきた。
しかし、意思決定主体として振る舞うAIの世界では、その逃げ道はほとんど残らない。
ここで初めて、「広告を入れない」という発言が、倫理やイメージ戦略ではなく、構造上の必然として立ち上がってくる。
次のブロックでは、このズレが Universal Commerce Protocol の思想とどう結びつくのかを見ていく。
なぜUCPは、入札制と根本的に噛み合わないのか。そこが次の焦点だ。
UCPの思想は、入札制と噛み合わない
ここで登場するのが Universal Commerce Protocol だ。
UCPは、表向きには「AI時代のコマースをつなぐ共通仕様」と説明されることが多い。だが、この思考ゲームでは、もう少し踏み込んで捉える。
UCPが本当にやろうとしているのは、
広告の効率化ではなく、取引責任の所在をAI側に引き寄せること だ。
UCPが前提にしている世界では、流れがこうなる。
ユーザーの意図をAIが理解する。
AIが商品やサービスを選び、取引経路を組み立てる。
決済、配送、返品、アフターサポートまで含めて、一連の「取引」として完結させる。
この構造の中で、AIは単なる案内係ではない。
選択を行う主体であり、取引の成否に対して暗黙の責任を負う存在になる。
ここで、Adsense的な入札制を想像してみる。
「この商品は入札額が高いので優先表示される」
「このショップは広告費を多く払っているので選ばれる」
この瞬間、UCPの思想は破綻する。
なぜなら、AIの判断基準が「ユーザーにとっての最適」から「誰が金を払ったか」にすり替わるからだ。
これは単なる倫理の問題ではない。
設計の問題である。
もし入札制を入れれば、取引が失敗したとき、誰も責任を取れない。
ユーザーはAIを信用できず、事業者もAIの判断を信用できない。
AIエージェントは、最も避けるべき存在――信用できない仲介者――になる。
UCPは、そうならないためのプロトコルだ。
だからこそ、露出を金で買う広告モデルと、思想的に相容れない。
この視点に立つと、「Geminiに広告を入れない」という発言は、
理想論でも規制回避でもなく、UCPを成立させるための前提条件に見えてくる。
では、広告を排したこの構造で、どこがマネタイズポイントになるのか。
次のブロックでは、あくまで思考ゲームとして、広告とは異なる現実的な収益ポイントを並べてみる。
では、どこがマネタイズポイントになるのか
ここから先は、あくまで思考ゲームだ。
実装予定や内部情報を断定する話ではない。
ただし、「広告を使わない」という前提を置いたとき、現実的に成立しそうな収益ポイントを構造的に眺めてみる。
まず重要なのは、広告モデルとそれ以外をきちんと切り分けることだ。
広告は「露出」に課金する。
一方、ここで想定するマネタイズは「結果」に課金する。
この違いは決定的だ。
たとえば、次のようなポイントは広告とは呼ばれない。
取引が成立したときに発生する決済・通過手数料。
配送、返品、サポートまで含めた「取引完結」に対する成功報酬。
UCPに準拠したデータ連携や在庫同期を行うための利用料。
AIが判断しやすい構造を提供するための、事業者向け基盤コスト。
これらはすべて、
「見せたから金を払え」ではなく
「成立したから対価を支払う」という考え方に基づいている。
ここで重要なのは、AIの立ち位置だ。
入札制広告では、AIは中立な掲示板に近い。
だが、この構造ではAIは取引を成立させるためのインフラになる。
道路や決済網と同じだ。
道路が「この店を通るとお金をもらえる」仕組みではないように、
UCP的な基盤も「誰を目立たせたか」ではなく、「どれだけ安全に通したか」で評価される。
このモデルは、EUにとっても扱いが難しい。
なぜなら、第三者広告市場の歪みを問題にしてきた規制文脈では、
インフラ利用料は原則として別枠だからだ。
もちろん、規制リスクがゼロになるわけではない。
だが、「検索順位を金で売っている」という分かりやすい構図は消える。
ここで、最初の前提に戻る。
Geminiに広告を入れない。
その代わりに、取引が成立する世界そのものを握る。
この発想に立つと、広告収入がなくても、収益が成立する絵は十分に描ける。
次のブロックでは、これが
「自社サービスへの誘導は広告ではない」
という整理に、どうつながるのかを見ていく。
「自社サービス誘導」は広告ではない、という整理
ここまでの思考ゲームを踏まえると、
「Geminiに広告は入れない」という発言の意味が、少し違って見えてくる。
重要なのは、広告と導線を意図的に切り分けている点だ。
広告とは、第三者が対価を払って、プラットフォーム上の視認性や順位を買う行為を指す。
一方で、プラットフォームが自社サービス同士をどう接続するかは、広告ではなく設計の問題になる。
Geminiがユーザーの意図を理解し、
その結果として Google Shopping を提示し、
チェックアウトや決済までを一気通貫でつなぐ。
この流れは、第三者広告ではない。
自社エコシステム内の最適導線だ。
検索結果に自社サービスが優先的に現れること、
地図アプリから予約やナビが自然につながること、
動画プラットフォーム内で自社の決済やサブスクリプションが完結すること。
これらはすべて、過去にも繰り返されてきた。
そして一貫して、広告とは呼ばれてこなかった。
この整理は、規制の文脈でも強い。
EUが問題にしてきたのは、
・検索順位を金で売ること
・第三者市場を歪めること
・不透明な優遇の存在
であって、
自社サービスをどう設計・統合するかそのものではない。
もちろん、境界は常に揺れる。
だが「広告収入を得ている」という構図よりも、
「自社プロダクトのUXを最適化している」という説明のほうが、
法的にも政治的にも扱いやすい。
ここで、UCPの位置づけがはっきりする。
UCPは、第三者広告を混ぜるための仕組みではない。
自社サービス間の接続を、外部事業者にも拡張するための共通仕様だ。
つまり、
「自社誘導だから問題ない」という世界を、
プロトコルとして外にも開く。
その結果、競争の焦点は
「誰が広告費を多く払ったか」ではなく、
「誰がこの導線に、より深く適合しているか」へと移る。
次のブロックでは、この変化を
広告競争から“プロトコル適合競争”への移行として整理する。
広告から「プロトコル適合競争」へ
ここまでの流れを整理すると、競争の軸そのものが静かに移動しているのが見えてくる。
従来の広告市場では、勝敗は単純だった。
どれだけ広告費を投じられるか。
どれだけ入札額を積み上げられるか。
この世界では、商品や体験の質は二次的になりやすい。
露出を確保した者がまず勝ち、あとは確率論で回収する。
だが、UCPを前提とした世界では事情が変わる。
AIが取引を組み立てる以上、重要なのは
「選ばれた後に、きちんと成立させられるか」だ。
在庫は正確か。
価格は最新か。
配送は信頼できるか。
返品やサポートは滞りなく処理できるか。
これらは広告では解決できない。
プロトコルへの適合度でしか担保できない。
つまり競争は、
「誰が一番金を払ったか」から
「誰が一番うまく、AIと取引できるか」へと移る。
この変化は、事業者にとっても意味がある。
広告費は消えていくが、代わりに残るのは構造だ。
一度整えたデータ、物流、決済、サポートは、継続的に効いてくる。
プラットフォーム側にとっても同じだ。
広告収入のような即効性は薄れるかもしれない。
だが、取引インフラとして組み込まれれば、
収益はより安定し、より見えにくくなる。
ここでようやく、
「広告を入れない」という発言が、
単なる宣言ではなく、競争設計の変更として意味を持つ。
最後に、この思考ゲームを締めくくろう。
終章|これは予言ではない。ただの思考ゲームだ
ここまで述べてきたことは、未来予測でも内部告発でもない。
単に、いくつかの前提を置いて、構造を並べただけの思考ゲームだ。
Geminiに広告を入れない。
UCPは取引を成立させるためのプロトコルである。
入札制はAIの信頼性と相容れない。
この三つを同時に置いたとき、
広告とは異なるマネタイズの姿が、自然に浮かび上がってくる。
それは広告の終わりではない。
広告という言葉が不要になる段階への移行だ。
もし将来、
「なぜあのとき、Googleは広告を捨てられたのか」
と問われることがあるなら、
答えは理想論ではなく、設計図の中にあるのかもしれない。
これは思考ゲームだ。
だが、こうした思考ゲームこそが、
後になって「現実の説明」になることがある。
——少なくとも、これまでのインターネット史は、そうだった。


