序章:通信の秘密は、平時のスローガンで守れるのか?
日本国憲法は「通信の秘密」を基本的人権として保障している。
多くの国でも、同じような理念が法の中に書かれている。私たちは長いあいだ、それを「当然の前提」として、メッセージを送り、通話し、メールを書いてきた。
しかし現実の世界では、その前提が試される瞬間がある。
ウクライナがロシアとの戦争状態に入って以降、ある変化がはっきりと数字に表れた。
それまで一部の技術者やセキュリティ意識の高い層にしか使われていなかったSignalが、一気に世界トップクラスの利用率を持つメッセンジャーの一つに跳ね上がったのだ。
興味深いのは、ウクライナにはすでにDiscordも、他のメッセンジャーも存在していた、という点だ。
それでも人々は、より「読まれない」道具へと流れた。
EUでも、Signalの利用が公的に推奨される場面が出てきている。
これは思想や流行の話ではない。もっと生々しい、もっと実務的な判断だ。
いざという時に、通信が読まれるかもしれない道具は使えない。
この一行に、すべてが集約されている。
平時には、人は便利さを優先する。
多機能で、友人が多く使っていて、操作に慣れているサービスを選ぶ。多少の不安や違和感は、「まあいいか」で飲み込める。
だが、国家が本気で対立し、インフラが攻撃され、監視や傍受が現実のリスクになる局面では、基準が一変する。
便利かどうかではない。
流行っているかどうかでもない。
読めないか、出せないか、壊されにくいか。
そこに残るのは、思想ではなく構造だ。
一方で、私たちは日常的に「無料」のサービスを使っている。
メッセンジャーも、SNSも、検索も、クラウドも、表向きはタダだ。その対価が、行動履歴や関係性といったデータで支払われていることも、多くの人はもう知っている。
これは違法でもなければ、特別に非難される話でもない。現代のインターネットは、そういう経済構造の上に成り立っている。
問題は、そのデータが「どこに集まり」「誰が引き出せて」「どこまで使える状態にあるのか」という点だ。
さらに時代はAIへと進んだ。
大量のデータを学習し、そこから予測や生成を行うシステムが、社会の基盤に入り込みつつある。企業の多くは個人情報そのものを売りたいわけではない。それでも、「入力した情報がどこかで別の形になって現れるかもしれない」という不安が、完全に消えることはない。
こうして見ていくと、「通信の秘密は守られているのか?」という問いは、単なる法律論では済まなくなる。
どんなサービスの、どんな構造の上に、自分の通信を置いているのか。
それが、そのままリスクの大きさを決める時代に入っている。
本稿では、次の問いを順にたどっていく。
- 無料サービスの「対価」とは何なのか
- なぜLINEのようなメッセンジャーは、居心地を失っていったのか
- AI時代に、データはどんなリスクをはらむのか
- そして、「本当に通信の秘密を守りたい」と思ったとき、どんな選択肢があるのか
結論を先に言えば、通信の秘密は理念だけでは守れない。
守りたいなら、守れる構造を選ぶしかない。
その具体例として、Signalというメッセンジャーがある。
なぜ戦争や緊張の時代に選ばれたのか。何が違うのか。何を捨て、何を守っているのか。
ここから、順を追って見ていこう。
第1章:国家は、憲法があっても通信に介入する
日本国憲法は「通信の秘密」を基本的人権として保障している。
この一文だけを読めば、私たちのメッセージや通話やメールは、国家からも完全に守られているように見える。
しかし、現実の法制度はそういう単純な構造にはなっていない。
通信の秘密は、原則として守られる。
けれど同時に、多くの国の法体系では、
- 犯罪捜査
- テロ対策
- 国家安全保障
- 重大事件の捜査
といった理由のもとで、例外的に制限できる仕組みが用意されている。
重要なのは、これは「裏の抜け道」ではなく、最初から制度の中に組み込まれている例外だということだ。
裁判所の令状、法律に基づく手続き、目的の限定、期間や範囲の制約。建前の上では、そうしたブレーキが何重にもかかっている。
つまり法理としては、
犯罪者には人権がないから覗いていい
ではなく、
他人の権利や社会の安全と衝突する場合に、厳格な条件付きで調整する
という形になっている。
ここまでは、いわば「きれいな教科書の話」だ。
問題は、歴史と現実が示している、もう一つの側面にある。
国家は、「できる状態」にある権限を、いずれ使う。
これは陰謀論でも、特定の国を悪者にする話でもない。
非常事態、戦争、テロ、大規模事件、社会不安。そういう局面では、どの国でも「例外」は拡張されがちになる。しかも一度拡張された権限は、元に戻らないか、戻るまでに非常に長い時間がかかる。
そして、ここで決定的に重要なのは、技術の側の構造だ。
- 通信の中身がサーバー側で読める
- メタデータ(誰が誰といつ話したか)が蓄積されている
- ログが長期間保存されている
- 関係性がグラフとして可視化されている
こうした構造があれば、法的な要請が出た瞬間に、「出せてしまう」。
企業が善意かどうか、国家が民主的かどうか、という問題以前に、
「集まって存在しているデータ」は、必ず権力の対象になる
という、もっと構造的な話になる。
これは、どこかの独裁国家だけの話ではない。
民主国家でも、法の支配がある国でも、制度として「取得できる」仕組みが用意されている以上、条件が揃えば使われる。
ここでの本質は、
- 国家が信用できるかどうか
ではなく、 - 国家が“できてしまう”状態にあるかどうか
という点にある。
通信の秘密は、理念としては守られている。
しかし現実には、それは常に例外と隣り合わせの権利でもある。
だからこの問題は、単に「法律を信じるか」「国家を信じるか」という話では終わらない。
次の問いが必ず浮かび上がってくる。
そもそも、私たちはどんな構造のサービスに、自分の通信を預けているのか?
その答えを考えるために、まずは「無料サービス」の正体から見ていこう。
第2章:「フリー」の正体 ― 無料サービスの対価はメタデータ
私たちは、日常的に「無料」のサービスに囲まれて暮らしている。
メッセンジャー、SNS、検索エンジン、地図、動画サイト、クラウドストレージ。多くの人は、お金を払わずにそれらを使っている。
もちろん、これらが本当に無償で提供されているわけではない。
運営にはサーバーも人件費も開発費もかかる。では、そのコストはどこから回収されているのか。
答えは、もう長い間はっきりしている。
対価は「データ」だ。
どんなページを見たか、誰とつながっているか、どんな時間帯に使うか、どんな端末で、どんな場所からアクセスしているか。
こうした情報は、広告の最適化やサービス改善、レコメンド精度の向上、A/Bテストなどに使われる。
これは違法でもなければ、特別に邪悪な仕組みでもない。現代のインターネットは、この「データを使って回す経済」の上に成り立っている。
多くの人も、そこは薄々わかっている。
- 無料で使える代わりに、何かを差し出している
- 便利さと引き換えに、ある程度は見られている
- 完全な匿名性や秘匿性は期待していない
このあたりは、すでに暗黙の了解になっていると言っていい。
問題は、「データが使われること」そのものではない。
本当に重要なのは、そのデータがどんな形で集まり、どこまで保持され、誰が引き出せる状態にあるのかという点だ。
- 中身そのものは暗号化されているのか
- それともサーバー側で読めるのか
- 誰が誰と、いつ、どれくらい話したかという情報は残るのか
- そのログはどれくらいの期間保存されるのか
こうした設計の違いで、「同じメッセンジャー」「同じSNS」に見えても、プライバシーの扱いはまったく別物になる。
そして、ここで一つ、よくある誤解も整理しておく必要がある。
この問題は「無料サービス」だけの話ではない。
有料のクラウド、有料のサブスクリプション、有料のビジネス向けツールであっても、
構造としてサーバー側でデータを扱える設計になっていれば、状況は本質的に変わらない。
お金を払っているかどうかは、
- 広告が出るか出ないか
- サポートが手厚いかどうか
- 容量や機能制限が緩いかどうか
といった体験の差には影響する。
しかし、
「そのデータが、技術的に誰に読める構造なのか」
という点では、有料か無料かは決定的な違いにならないことも多い。
つまり問題は、「タダか有料か」ではなく、
集められたデータが、“使えてしまう状態”にあるかどうか
にある。
集められ、整理され、検索でき、引き出せる形で存在しているデータは、
企業のビジネスにも使えるし、必要になれば、国家権力の対象にもなる。
これは「誰かが悪いことを企んでいるから」ではない。
そこにあるから、使えるから、使われうるという、構造の問題だ。
この現実は、メッセンジャーにも、そのまま当てはまる。
そして、その違いが、後に「居心地の差」や「信頼の差」として表面化してくる。
次の章では、日本で圧倒的な存在感を持っていたLINEが、なぜ少しずつ「居心地の悪い場所」になっていったのかを見ていく。
それは思想や政治の話というより、ユーザー体験の劣化から始まった変化だった。
第3章:LINE離れは、思想ではなく「体験の劣化」から始まった
日本では長いあいだ、LINEは「事実上の標準メッセンジャー」だった。
家族連絡、友人との雑談、仕事のやり取り、学校や地域の連絡網。多くの人の生活インフラに深く入り込んでいた。
それだけに、「LINE離れ」という言葉が語られるようになったとき、理由はしばしば誤解された。
政治的な不信だとか、セキュリティ意識の高まりだとか、そういう“思想の話”だと思われがちだった。
しかし、実際に起きていた変化は、もっと地味で、もっと日常的なものだった。
最初に多くの人が感じたのは、いわゆる「SNS疲れ」だった。
- 通知が止まらない
- グループが増え続ける
- 既読をつけるタイミングに気を遣う
- すぐ返さないといけない空気が重い
本来は「連絡を楽にする道具」のはずが、いつの間にか精神的な負担装置になっていく。
これはLINEに限らず、多くのSNSやメッセージングサービスで共通して起きた現象だ。
そして、その上に重なってきたのが、もう一つの変化だった。
会話の途中に、広告やプロモーションが入り込んでくる。
ニュースサイトや動画サイトなら、広告が出るのは当たり前だと多くの人は割り切っている。
しかし、メッセンジャーは性質が違う。そこは、半ば私的な空間として使われている場所だからだ。
友人や家族とのやり取りの合間に、
突然、企業の宣伝やおすすめが差し込まれる。
脳はそれを「情報」ではなく、「侵入」として処理する。
多くのユーザーの感覚は、だいたい次のようなものだっただろう。
メタデータを使うのは仕方ない。
無料で使っている以上、どこかで回収されるのも理解できる。
でも、会話の場を汚さないでほしい。
これは思想の問題ではない。居心地の問題だ。
さらに追い打ちをかけたのが、データ管理やガバナンスに関する一連の報道だった。
海外委託、アクセス権限の問題、管理体制の甘さ。細かい技術的な話を理解していなくても、
「なんとなく、ここに全部預けるのは気持ち悪い」
という感覚だけは、確実に広がっていった。
その結果、何が起きたか。
多くの人は、怒ってアプリを削除したわけではない。
抗議運動をしたわけでもない。
ただ、少しずつ使う頻度を下げ、別の連絡手段を併用し始め、気づけば中心から外れていった。
これは、プラットフォームが衰退するときによく起きるパターンだ。
- 便利さはまだ残っている
- でも「信頼」や「居心地」は、静かに目減りしていく
- そしてある日、「なくてもいい存在」になる
ここで重要なのは、LINEが悪だとか、利用者が間違っているとか、そういう話ではない。
構造の話として、
「人の私的な会話の場」と「広告モデル」は、根本的に相性が悪い
という現実が、少しずつ表に出てきただけだ。
そしてこの問題は、LINE固有の話では終わらない。
データを集め、最適化し、収益化するというモデルを取る限り、同じ緊張関係はどこにでも生まれる。
第4章:AI時代の新しい不安 ― 学習データはどこかで顔を出す
近年、AI、特に大規模言語モデル(LLM)は、私たちの日常に急速に入り込んできた。
文章を書き、要約し、質問に答え、コードを生成する。かつては専門家の道具だったものが、いまや誰でも使える一般的なサービスになっている。
こうしたAIは、大量のデータをもとに学習し、そこからパターンを抽出することで機能している。
重要なのは、企業の狙いは「誰かの個人情報を売ること」ではない、という点だ。
本当に価値があるのは、個々のデータそのものではなく、
「こういう条件のとき、人はこう振る舞う可能性が高い」
「こういう文脈では、こういう答えがそれらしい」
という予測能力そのものだ。
言い換えれば、データは商品ではなく、燃料に近い。
集めたデータをそのまま売るよりも、そこから作られたモデルのほうが、はるかに再利用しやすく、はるかに儲かる。
だからBig Techが個人情報を直接売買して利益を上げている、というイメージは、実態とは少しずれている。
むしろ企業にとって生データは、持てば持つほどリスクの塊でもある。漏洩すれば信用問題になり、規制にも引っかかり、訴訟の種にもなる。
それでもなお、AI時代には新しい種類の不安が生まれる。
入力した情報が、どこかで別の形になって現れる可能性は、本当にゼロなのか?
理論的には、モデルは特定の個人情報をそのまま記憶して吐き出すようには設計されていない。
しかし現実のシステムは巨大で複雑で、人間がすべての挙動を完全に予測できるわけでもない。
バグ、設計ミス、想定外の使われ方、あるいは単なる事故。そうした要因が重なれば、「ありえないはずのこと」が起きる余地は残る。
ここで大切なのは、これは陰謀論の話ではない、という点だ。
「誰かが悪意を持って覗いている」という話ではなく、
規模が大きく、構造が複雑なシステムでは、事故の可能性をゼロにはできない
という、ごく工学的で現実的なリスクの話である。
だからこそ、多くのAIサービスは利用規約やガイドラインで、
- 個人情報を入れないでください
- 機密情報を入れないでください
- 公開されて困る情報は入力しないでください
と、繰り返し注意喚起している。
これは「企業が裏で悪いことをするから」ではなく、
一度システムに入った情報は、完全にコントロールしきれない可能性があるという前提に立った、リスク管理の話だ。
そして、ここで第2章の話とつながってくる。
この問題は、無料サービスだけの話ではない。
有料のAIサービスであっても、構造としてサーバー側でデータを扱い、学習や改善に使える設計である限り、同じ種類のリスクは存在する。
お金を払っているかどうかは、体験の質やサポート内容は変える。
しかし、
「そのデータが、技術的に誰に扱える構造なのか」
という点では、無料か有料かは本質的な違いにならない場合も多い。
ここまで見てくると、だんだん輪郭がはっきりしてくる。
- データは集められる
- 集められたデータは、価値を生む
- 価値を生む以上、管理され、保持され、使える形で存在する
- そして「使える形で存在するもの」は、企業だけでなく、国家権力の対象にもなりうる
この構造の中で、「通信の秘密」や「プライバシー」をどう扱うのか。
次の章では、その問いに対して、かなりラディカルな答えを出しているサービス、Signalを見ていくことにしよう。
第5章:それでも「本当の通信の秘密」を守りたい人へ ― Signalという選択
ここまで見てきたように、私たちが日常的に使っている多くの通信サービスは、
- データを集め
- データを保持し
- データを活用できる構造
の上に成り立っている。
それが無料か有料かは、体験の差には影響しても、構造の本質を変えるとは限らない。
では、「通信の秘密」をできるだけ現実的に守りたい人は、どうすればいいのか。
その問いに対して、かなり極端な答えを出しているのが、Signalというメッセンジャーだ。

5-1. Signalの成り立ち ― 広告モデルへの“反省文”としてのプロダクト
Signalの背景には、象徴的なエピソードがある。
関わっている中心人物の一人は、WhatsAppの共同創業者でもあるブライアン・アクトンだ。
WhatsAppは「エンドツーエンド暗号化」を掲げて急成長し、やがて巨大企業に買収された。
その後、広告やデータ活用を軸にしたビジネスモデルの圧力が強まる中で、
「通信サービスと広告モデルは、結局どこかで衝突する」
という現実を、内部から見て思い知らされることになる。
その結果生まれたのが、非営利財団という形で運営されるSignalだ。
投資家のリターンを最大化する必要がない。広告を入れる必要もない。
その代わり、寄付や助成金という、あえて地味で不利な道を選んだ。
これは理想論というより、
「一度でも“データで稼ぐ構造”に乗ったら、通信の秘匿性は必ず後退する」
という、実体験に基づく結論に近い。
5-2. 技術的に何が違うのか ― 「出せない」ことを前提にした設計
Signalの設計思想は、かなりはっきりしている。
- 通常のチャットはデフォルトでエンドツーエンド暗号化(E2EE)
- サーバー側はメッセージの中身を読めない
- メタデータ(誰が誰といつ話したか)も極力持たない
- ログを残さない、あるいは最小限にする
- 運営側ですら、要求されても「渡せるものがない」構造を目指す
ここで重要なのは、「信用してください」と言っているのではなく、
信用しなくていい構造に寄せている
という点だ。
国家が要請しようが、企業が方針転換しようが、
そもそも中身を持っていない、読めない、出せないのであれば、踏み越えようがない。
これは、
- 国家が正しく振る舞うことに期待する設計ではなく
- 国家も企業も含めて、人間を信用しすぎない設計
だと言える。
5-3. LINEとの比較 ― 目的が違えば、設計も違う
ここで、LINEのような一般的なメッセンジャーとSignalを比べると、違いははっきりする。
LINEは、
- 多機能
- スタンプ、公式アカウント、決済、ニュース、広告
- 巨大なプラットフォームとしての利便性
- クラウド同期や運営側の管理が前提の構造
を優先してきたサービスだ。
一方、Signalは、
- 機能は最小限
- プラットフォーム化もしない
- 収益化もしない
- その代わり、通信の秘匿性を最優先する
この二つは、優劣の問題というより、
最初から目的がまったく違う道具
だと言ったほうが正確だろう。
LINEは「便利なコミュニケーション基盤」を作るための設計。
Signalは「誰にも読めない通信路」を作るための設計。
どちらを選ぶかは、価値観と用途の問題だ。
ただ、「通信の秘密を、できるだけ現実のリスクから守りたい」という一点に限れば、
Signalの思想は、かなり徹底している。
ここまで来ると、最初の問いがもう一度、別の形で立ち上がってくる。
私たちは、権利を誰に預けているのか?
それとも、構造として自分で守ろうとしているのか?
次の章では、この問いを、もう一度「国家」と「権利」の関係に引き戻して考えてみよう。
第6章:国家は権利を守らない。権利は「自分で守る」時代に入った
ここまで見てきた話をまとめると、一つの現実が浮かび上がってくる。
通信の秘密は、法律の上では確かに保障されている。
しかし同時に、それは常に例外と隣り合わせの権利でもある。
犯罪捜査、安全保障、非常事態。
どの国でも、どの時代でも、「やむを得ない理由」は必ず現れる。
そして、技術的に“できてしまう”構造があれば、その例外は拡張される。
これは、特定の国が悪いとか、誰かが特別に悪意を持っているとか、そういう話ではない。
もっと単純で、もっと人間的な話だ。
権限と手段が揃っていれば、人はそれを使う。
だから問題は、「国家を信じるかどうか」ではなく、
国家であれ企業であれ、“できてしまう構造”をどこまで許すか
という設計の話になる。
そして、ここで重要なのは、この構造は無料サービスに限った話ではないという点だ。
有料のクラウド、有料の業務ツール、有料のAIサービスであっても、
- サーバー側で中身を扱える
- ログが保持される
- 管理者がアクセスできる
- 取り出せる形でデータが存在する
こうした前提がある限り、原理的なリスクは同じ場所に残る。
お金を払うことで、広告は消えるかもしれない。
サポートは手厚くなるかもしれない。
体験は快適になるかもしれない。
しかし、
「そのデータが、構造として誰に読めるのか」
という一点に関しては、有料か無料かは決定的な違いにならないことも多い。
だからこの問題は、「良い会社を選ぼう」という話では終わらない。
「信頼できる運営を選ぼう」という話でも、まだ足りない。
本質は、
信頼しなくても成り立つ構造を選ぶかどうか
という選択になる。
Signalの思想は、まさにそこにある。
国家が正しく振る舞うことに期待しない。
企業が永遠に理念を守り続けることにも期待しない。
その代わり、
- そもそも中身を持たない
- そもそも読めない
- そもそも渡せない
という設計に寄せる。
これは、「誰かを信用しないと社会が成り立たない」という前提を、技術で少しだけずらそうとする試みだ。
ここで誤解してはいけないのは、これは「国家は敵だ」とか、「企業は信用ならない」という過激な主張ではない、ということだ。
現実の社会は、法律と制度と運用のバランスの上で回っているし、多くの場合、それはそれなりに機能している。
ただ、それでもなお、
例外は必ず拡張される
一度集めたデータは、いずれ別の目的にも使われる
「できること」は、いつか「やること」になる
という歴史的なパターンから、完全に自由になることはできない。
だからこそ、
権利は、誰かが守ってくれるものではない。
少なくとも現代では、自分で守る設計を選ぶものになっている。
という結論に近づいていく。
Signalを使うという選択は、世界を変える革命ではない。
国家権力を無効化する魔法でもない。
ただ、
自分の通信について、「読めない構造」を選ぶ
という、きわめて地味で、きわめて現実的な自己防衛だ。
次の終章では、ここまでの話をもう一度まとめて、
「通信の秘密」という理念が、いまどんな形で守られうるのかを整理しよう。
終章:通信の秘密は、理念ではなく「構造」で守る時代へ
ここまで見てきたように、「通信の秘密」は法律の条文の中では確かに保障されている。
しかし現実の運用では、それは常に例外と隣り合わせに置かれている。
国家は、治安や安全保障という理由で通信に介入できる仕組みを持っている。
企業は、サービスを維持・改善・収益化するためにデータを集め、扱う構造を持っている。
それが無料であれ、有料であれ、サーバー側で扱えるデータが存在する以上、「使える可能性」は消えない。
この現実は、誰かが特別に悪いから生まれているわけではない。
権限と技術が揃えば、人はそれを使う。
歴史は、何度もそのことを示してきた。
一方で、私たちは「フリーの代償」としてメタデータを差し出しながら、便利なサービスを享受している。
それ自体は現代のインターネットの基本構造であり、否定すべきものでもない。
しかし、その構造の上に「私的な会話」や「守りたい通信」まで載せるとき、話は少し変わってくる。
LINEの利用体験が徐々に居心地の悪いものになっていったのも、
AI時代に入力データの扱いに慎重さが求められるようになったのも、
根っこにあるのは同じ感覚だ。
「どこまで預けていいのか、どこからは自分で守るべきなのか」
Signalは、この問いに対して、かなり極端な位置から答えを出している。
信頼に頼らず、善意にも期待せず、そもそも持たない・読めない・渡せない構造に寄せる。
それは、国家や企業を敵視するための道具ではなく、
「誰も完全には信用できない」という前提に立った、ひとつの現実的な設計だ。
通信の秘密は、もう理念だけでは守れない。
法律は重要だが、それだけで十分だと安心できる時代でもない。
守りたいなら、守れる構造を選ぶしかない。
それは大げさな革命ではなく、日常の小さな選択に近い。
どのメッセンジャーを使うか。
どこまでの情報を、どのサービスに預けるか。
どんな前提の上に、自分の会話を置くか。
国家は、常に権利を守りきれるわけではない。
企業も、永遠に理念を貫けるわけではない。
だからこそ、現代では、
権利は「誰かに守ってもらうもの」ではなく、
「自分で守る構造を選ぶもの」になった。
通信の秘密をどう扱うかは、技術の話であると同時に、
どんな社会を前提に生きるかという、静かな意思表示でもあるのだと思う。

