序章 黎明の空気
焼け跡の匂いがまだ街に残るころ、日本では「電子計算機」という言葉が静かに息を吹き返した。統計、金融、科学計算。手計算の限界に挑むために、真空管とリレーの箱を前に、技術者たちは夜更けまで回路図と格闘した。そこにあったのは壮大な国家計画でも、華やかな資本物語でもない。宿直室の石油ストーブ、パンチカードの紙粉、磁気ドラムの唸り──現場の熱だけが、国産計算機の最初の燃料だった。
この物語の主役は三つの流派だ。魂で押し切る現場主義の富士通。理で積み上げるアーキテクト集団のNEC。そしてアメリカ流の自由さと日本の職人勘が交差した高千穂(のちの日本バロース)。彼らが見た夢は同じだった。人の手で計算する時代を終わらせること。その夢が、のちに世界最速へ至る長い道のりをひらく。
第1章 富士通 ─ FACOMの炎
戦後間もなく、統計分類集計機の案件を皮切りに、富士通信機製造(のちの富士通)の技師たちは、継電器のクリック音に耳を澄ませながら、電卓ではとても追いつかない計算を機械に託し始めた。中心にいたのが池田敏雄である。
FACOM 100。日本初の科学技術用実用リレー式計算機は、内部10進という独創的設計で、湯川秀樹の多重積分を三日で解いた。紙と鉛筆で二年かかる計算を三日に縮めたとき、現場の空気は一変する。「人が計算する理由はどこにもない」。それは単なる性能の話ではなく、知的労働の定義を改める宣言だった。
池田は流派にとらわれない。リレーからパラメトロンへ、さらにトランジスタへ。技術の潮目を読むのが異様に早かった。FACOM 222Pに結晶した決断は、国産が米国の背中へ一気に手を伸ばすための踏み台になる。やがてIBMがSystem/360で世界を塗り替えると、池田は正面からその規模と互換性に挑む。FACOM 230シリーズ。二重CPUを主記憶で結ぶマルチプロセッサ構成の230-60は、「性能とは執念の別名だ」と言わんばかりに、弱小国の機械を一時、世界最速の座に押し上げた。
この無鉄砲とも見える挑戦は、独断ではない。小林大祐の冷静な経営判断、若き山本卓眞の統率力、そして現場を信じる文化が三位一体となって成立している。夜の工場に灯がともる。試作機のランプが一つずつ点き、次の瞬間に消える。エンジニアの誰かが小声で呟く。「開発は感動から始まる」。池田敏雄の言葉だ。もう一つ、彼はこうも言った。「挑戦者に無理という言葉はない」。無理を可能にするのは、技術ではなく、技術者の気骨だと彼は知っていた。
池田は51歳で倒れる。羽田空港のロビー、出迎えの途上である。肩書は常務。死後、専務を追贈された。社葬の日、列をなした社員の胸のうちにあったのは喪失だけではない。自分たちがこれから燃やすべき火の色だった。スーパーコンピュータの萌芽はすでに芽吹いていた。FACOM 230-75 APU。ベクトルという言葉がまだ一般的でない時代に、流体と空を解く専用の刃を用意した。のちのVPシリーズ、そして富岳へ。富士通の系譜は、性能のグラフではなく、志の線でつながっていく。
第2章 NEC ─ 理で戦うアーキテクト
NECの強さは、個々の天才よりも「体系」に宿る。後藤英一のパラメトロンは、日本の論理回路に“日本語の文法”を与えたような発明だった。NEACの系譜、のちのACOSに至るまで、NECは“整っていること”を武器にする。命令セットは整合し、バスは明快に分離され、マイクロアーキテクチャは余白を残さない。理で戦う集団には、現場の泥に足を取られない強さがある。
その文化は半導体でも花開く。μCOM、Cバス、ベクトル命令の設計思想。NECの技術者は、目の前の機械を速くするだけでは満足しない。標準化、互換性、将来の拡張。紙の上で未来を整えたうえで、初めて半田ごてを握る。だからこそNECの計算機は大規模システムに向いた。官公庁、通信、ミッションクリティカル。音もなく動き続けるのが美徳なら、NECは最も日本的な美学を体現した企業だった。
富士通が炎で押すなら、NECは石垣を積む。どちらが偉いという話ではない。違う道を、それぞれ極めたという話である。日本の計算機の背骨は、こうして鍛えられていった。
第3章 高千穂・バロース ─ 手でつなぐ自由
高千穂通信工業(のちに日本バロース)は、空気が違った。アメリカ製の思想と、日本の現場感覚が奇妙に混ざり合って、機械室にはどこか“自由の匂い”が漂う。パンチカードリーダがカードを飲み込み、ラインプリンタが紙を吐き出す。側では技術者がブリストル片手にロジック回路を手でつなぎ替える。配線一本で振る舞いが変わる時代、機械はまだ“生きて”いた。
銀行、証券、勘定系。高千穂・バロースの機械は、金と時間が絡む現場で信頼を勝ち取った。作法は合理的で、設計は開放的。彼らはしばしば「マニュアルの外側」で仕事をしたが、それは無謀ではない。目の前の顧客の要求を、機械が満たすように“育てる”。この自由闊達さは、日本の保守文化に貴重な色彩を加えた。整っているだけでは現場は回らない。炎だけでも長距離は走れない。高千穂・バロースは、日本の計算機に“しなやかさ”を与えた流派だった。
第4章 交差する運命
1970年代の後半、三つの流派は互いに影響し合い、80年代の黄金期を準備する。互換性と開放性、体系性と拡張性、そして現場主義。富士通のFACOM、NECのNEAC/ACOS、日立のHITACが大規模市場でしのぎを削り、国産は企業・官庁の心臓部を担うようになる。半導体の内製化、OSの成熟、ネットワークの拡張。三本の川は合流し、大河になる。
この時代、性能はベンチマークの数字だけで語られなかった。どれだけ長く安定して動くか。どれだけ現場の人と機械が“分かり合える”か。エンジニアとは、回路図と顧客の言葉の両方を理解する通訳である。三流派の哲学は、そこで初めて同じ文に並んだ。炎は石垣をよじ登り、石垣は炎を受け止め、自由はその間を柔らかくつないだ。日本式エンジニアリングの完成である。
結章 祈りとしての技術
コンピュータは冷たいと言われる。だが、少なくとも日本の黎明期において、機械は温かった。カードの擦れる音、テープの走る匂い、ランプの柔らかな明滅。そこには人の手の熱があった。富士通の現場で汗を拭った誰かが、NECの会議室で仕様書を磨いた誰かが、高千穂の機械室でブリストルに走り書きした誰かが、同じ方向を見ていた。「人が人らしく働くために、機械に任せられることは、機械に任せる」。
池田敏雄の言葉が、今も耳に残る。開発は感動から始まる。挑戦者に無理という言葉はない。挑戦はいつも現場から始まり、感動はいつも人に帰る。富士通の系譜は富岳へ、NECの論理は巨大システムへ、高千穂の自由は運用の現場へ。それぞれの道は今も続き、互いに交わりながら、日本の技術者の背骨になっている。
私たちがスマートフォンで天気を開き、クラウドで計算を流し、AIに仕事の一部を任せているとき、遠くでパンチカードのさざめきが聞こえる気がする。石造回廊の奥で、無数の肖像が静かに見守っている。あの時代の技術者たちが灯した火は消えていない。むしろ、より透明に、より広く燃えている。
そして今も、機械室の灯が落ちる前に、どこかの現場で小さな声がする。
「もう一回だけ、試してみよう。」
付録 三流派の肖像(短評)
富士通
現場至上主義。動くまで帰らない。互換に挑み、世界最速を一時つかんだ。名言が文化を支配する稀有な技術集団。
NEC
体系と理性。設計の美学で負けない。整合性と拡張性を両立し、巨大システムを静かに支えた。
高千穂・バロース
自由と実用。ロジックを“手で”育て、顧客とともに機械を成熟させる。日本の保守・運用文化にしなやかさを与えた。
エピローグ
三国志は勝敗の物語ではない。異なる哲学が同じ未来を見ていたことの証明である。炎と石垣と自由が、同じ川に注ぐ。その川の下流に、今日の私たちの生活がある。機械は冷たいが、技術は温かい。温かいものは、いつだって人が灯す。だから私たちは、次の世代に火を渡すために、この物語を書き続ける。


