ロボティクスAIの時代が来る
生成AIブームの主役だったチャットボットや画像生成は、ここにきて成熟期に入りつつある。次に熱を帯びているのは「ロボティクスAI」だ。現実世界の物体を認識し、操作し、タスクを遂行できるか――これはAIの真価を問う挑戦でもある。
その象徴的なニュースが、2025年秋に立て続けに飛び込んできた。
- Newton プロジェクトが Linux Foundation 管理へ寄稿
Google DeepMind、NVIDIA、Disney といった異色の顔ぶれが名を連ねる。研究室ごとに分断されていた物理シミュレータのエコシステムを統合しようという大きな動きだ。 - NVIDIA「Jetson AGX Orin」登場
産業用ロボットや自律移動マシンの頭脳を担う組込みAI基盤。GPU技術を縮小化し、275 TOPSクラスの処理能力をローカルで叩き出す。 - Google「Gemini Robotics-ER 1.5」発表
机上のパンや野菜を瞬時にラベル付けするような物体認識力を示し、ロボットが実環境を「理解」する力を一気に押し上げた。
これらのニュースは、単なる研究成果ではない。AIが「文章や絵を生成する存在」から、「現実を操作する存在」へとステージを移しつつあることを示している。
そして、その基盤を裏で支えるのが 「物理シミュレータ」 だ。仮想世界でロボットを何百万回も試行錯誤させ、現実世界へ知識を転移させる。その要となる次世代エンジンが Newton である。
Newtonとは何か
Newton は、Google DeepMind・NVIDIA・Disney が連携して開発し、Linux Foundation に寄稿されたオープンソースの物理シミュレーション基盤である。単なる「新しい物理エンジン」ではなく、既存エコシステムを結び直し、次世代のロボティクスAIを支える共通土台として構想されている点が大きな特徴だ。
開発の背景
ロボティクス研究では、物理シミュレーションは避けて通れない。強化学習や模倣学習では膨大な試行が必要で、現実世界でそれを繰り返すのは非現実的だからだ。そこで、シミュレータ上で数百万回の動作を仮想的に実行 → 学習済みモデルを現実へ移行(sim-to-real) という流れが定番になっている。
だが従来のエンジンは、用途ごとにバラバラだった。
- ゲーム業界では PhysX や Bullet が主流
- 研究用途では MuJoCo や Drake が使われる
- NVIDIA は独自に Isaac Sim / Isaac Gym を展開
結果として、研究者・開発者が環境を横断するには多大な労力がかかり、シミュレーション結果の再現性も揺らいでいた。
Newton の狙い
Newton が目指すのは、この断片化を乗り越えて「統一的で拡張可能な物理基盤」を提供することだ。
- Warp ベースの実装:NVIDIA Warp を用いることで GPU ネイティブの高速シミュレーションを可能に。
- 拡張可能なソルバ:研究者がカスタム摩擦モデルや新しい拘束解法を組み込みやすい設計。
- MuJoCo 互換性:既存の膨大な研究資産を活かせるよう、モデルやAPIの互換を重視。
- Isaac Lab との統合:NVIDIA のロボティクス基盤とも橋渡しできるよう準備が進む。
オープンソース化の意義
Newton を Linux Foundation に寄稿した意味は大きい。特定ベンダーの囲い込みを避け、産業界・学術界・OSSコミュニティが共通の基盤を育てられるようにするためだ。これは、Linux が OS の事実上標準となった歴史を想起させる。
言い換えれば、Newton は「ロボティクス時代の Linux カーネル」を狙う存在なのかもしれない。
既存エンジンとの比較
Newton を理解するには、まず既存の物理エンジンが歩んできた系譜を押さえておく必要がある。物理シミュレーションは長らく「ゲーム向け」と「研究向け」に分かれて進化してきた。Newton はその境界を越え、両者の利点を取り込もうとしている。
1. ゲーム向けエンジン
- PhysX(NVIDIA)
リアルタイム性と安定性を優先。GPU最適化により数百万ユーザーが遊ぶゲームでも快適に動作する。だが「物理的な厳密さ」より「見た目の自然さ」が優先される。 - Bullet Physics
オープンソースで軽量、広く使われる。柔軟だが大規模ロボティクス研究には力不足。
ゲーム系は「動けばよい」世界で輝いたが、ロボットに学習させるには厳密な物理性・勾配計算可能性が必要になる。
2. 研究向けエンジン
- MuJoCo(Multi-Joint dynamics with Contact)
接触力学や拘束のシミュレーション精度に優れ、強化学習研究で事実上の標準となった。2021年に DeepMind に買収され、2022年以降オープンソース化。 - Drake(MIT発)
制御理論寄りの設計で、工学的に厳密なロボティクス計算が可能。ただし扱いは難解。
これらは「精度」を重視する一方、GPUによる並列化や拡張性には制限があった。
3. NVIDIA Isaac 系
- Isaac Sim / Isaac Gym / Isaac Lab
GPUを前提に作られ、超並列な強化学習に対応。自律ロボット研究の実環境と接続しやすく、産業界で採用が進む。
ただし API の独自性が強く、他エンジン資産との互換性には壁がある。
4. Newton の立ち位置
Newton はこれらの特徴を取り込みつつ、次の方向性を目指している。
- MuJoCo の厳密さ × Isaac のGPU高速化 × オープンソースの拡張性
- Warp 上で差分可能性を備え、研究にも産業にも適応可能な「橋渡し」設計
- Linux Foundation での中立運営により、ベンダーロックを避けた標準化の期待
要するに Newton は「ゲームエンジンの軽快さ」「研究エンジンの正確さ」「GPU時代のスケーラビリティ」を統合する存在だ。
技術的チャレンジ
Newton は「次世代物理シミュレータの統合基盤」を標榜しているが、その実現にはいくつもの難関がある。物理シミュレーションは単なる「描画」ではなく、現実世界に近いダイナミクスを効率的に計算することが求められる。以下は特に注目すべき課題群だ。
1. 精度と高速化のトレードオフ
シミュレータの永遠の課題は 精度 vs 速度 である。
- タイムステップを細かく刻めば精度は上がるが計算量が爆発する。
- ステップを荒くすればリアルタイム性は確保できるが誤差が蓄積する。
Newton が Warp を採用したのは、GPU並列化でこのジレンマを軽減する狙いがある。
2. 接触力学と摩擦モデル
ロボットが物を「つかむ」「置く」といった行為には、接触と摩擦が欠かせない。
- しかし摩擦は非線形で不安定、数値解法が破綻しやすい。
- 既存エンジンでも摩擦シミュレーションの安定性は弱点とされてきた。
Newton は 拡張可能なソルバを備え、研究者が独自モデルを挿入できる設計になっている。
3. 差分可能性(Differentiability)
AIと物理シミュレーションを直結させるには、勾配計算可能な物理 が必須だ。
- 例えば逆問題(「この動作を実現するための力は?」)を解くために微分が必要になる。
- ニューラルネットと物理を統合する「Neural Dynamics」の研究が進む中、Newton が差分可能性を持つかどうかは鍵となる。
4. 長時間シミュレーションの安定性
- 数千ステップ先までシミュレーションする際、積分誤差が雪だるま式に増える。
- 特に強化学習では数百万エピソード単位の長期訓練が前提になるため、数値安定性は必須。
5. 複雑系への対応
- 非剛体(柔らかい物体や布)、流体、多体系相互作用など、従来エンジンが苦手とする領域。
- ロボティクスが現実世界に広がるにつれ、これらも避けて通れなくなる。
Newton がここまで射程に入れられるかは、今後の発展次第だ。
総じて、Newton は「拡張性」を重視した設計で、こうした課題を研究者・開発者が解決できる土台を用意している。だが、それをどこまで使いやすく磨けるかが次の勝負になる。
応用と展望
Newton の登場は、単に「新しい物理エンジンが増えた」という話ではない。
これは、AI とロボティクスを現実に結びつけるための 基盤技術の再編 であり、今後の応用シナリオは幅広い。
ロボット学習の加速
- 強化学習(RL):Newton 上で数百万エピソードを高速に回し、ロボットにタスクを習得させる。
- 模倣学習:人間の動作データをシミュレータに反映し、効率的な模倣を可能にする。
- sim-to-real:シミュレータで学んだ知識を現実のロボットに転移する際の「ギャップ」縮小に貢献。
デジタルツイン基盤
- 工場や都市の環境をシミュレータで再現し、設計・運用の最適化に活用。
- 従来は CAD/CAE とゲームエンジンが分断されていたが、Newton はその橋渡しになり得る。
- 「リアルタイムで動く現実のコピー」を実現する上で重要な位置づけとなる。
自動運転・ドローン・産業ロボット
- センサーシミュレーションと組み合わせれば、自動運転やドローン制御の学習環境を現実より安全・安価に構築できる。
- 物流ロボット、医療ロボットなど、産業用途でも Newton ベースの検証環境が期待される。
ワールドモデルとの接続
- DeepMind の Genie 3 のような「世界を生成するモデル」と組み合わされば、
「生成された世界 × 物理的に正しい挙動」の両立が可能になる。 - ロボティクスだけでなく、ゲーム・メタバース・教育といった領域にも展開できる。
コミュニティと標準化
- Linux Foundation 傘下に入ったことで、産学の共同開発が進みやすい。
- Linux が OS の標準になったように、Newton が ロボティクス物理の標準になる可能性がある。
- 研究資産や産業応用を横断的に支える「共通言語」としての役割が期待される。
まとめ
Newton は、MuJoCo の精度、Isaac の GPU スケール、オープンソースの拡張性を兼ね備え、
「知能(AI)と物理(ロボットの体)」を結びつける次世代の基盤を目指している。
Gemini Robotics-ER 1.5 や Jetson AGX Orin といった周辺技術と同時期に登場したことは偶然ではなく、
AI が現実世界を動かす時代の到来を象徴している。
言い換えれば、Newton はロボティクス時代の 「Linuxカーネル」 になり得る存在だ。

