昔、プログラマーが戦っていた相手はCPUだった。
1クロックでも早く、1バイトでも軽く。
C言語でforループを展開し、アセンブラの命令パイプラインを眺めながら、
“機械を支配する快感”に酔っていた。
だが、いまその戦いはもう終わった。
コンパイラは人間より賢く、CPUは待たされる側になった。
それでも我々の世界は速くなり続けている。
──なぜか。
速くなったのは「コンピュータ」ではなく「人間」だからだ。
第1章 CPUの時代 ―― クロックと誇り
かつてプログラマーは、CPUの鼓動を聞いて生きていた。
メモリキャッシュを意識し、ループを巻き展開し、
printfひとつ書くにも「性能低下」を恐れた。
速度こそ正義であり、1行の冗長が恥とされた時代。
それは確かに美しい文化だった。
だが、コードは人間のためではなく、機械のために書かれていた。
“読みやすい”よりも“動けばいい”。
そうして生まれたのが、歴史に名を残す無数の「動く地獄」だ。
第2章 フレームワークの時代 ―― 機械のためから、人間のためへ
やがて世界は変わる。
Javaが「仮想マシン」を掲げ、.NETが「人間にやさしい構文」を約束し、
そしてElectronやReactが“誰でもアプリを作れる時代”を開いた。
ここで初めて、速度の主語が変わった。
「CPUを速く」ではなく、「人間を速く」。
メモリを浪費してもいい。
そのぶん開発者が1時間早く帰れるなら、社会的コストはむしろ下がる。
ReactやTypeScript、Pythonが“遅い”と揶揄されながらも広く受け入れられたのは、
まさにこのパラダイムの証だ。
第3章 Web版Outlookの衝撃 ―― ネイティブの終焉
そして2020年代。
Microsoftが、あのOutlookをReactで作り直した。
Electronですらなく、EdgeのWebViewで動く純粋なWebアプリ。
内部はFluent UI、Redux、TypeScript、Graph API。
つまり、Webページとメールクライアントの区別すらない。
かつて「メールクライアントはネイティブでなければならない」と
信じられていた時代が遠い幻のようだ。
だが動いてみると、案外悪くない。
いや、むしろ軽い。
“C++を捨てたOutlookが史上最速”という皮肉。
ネイティブアプリはもう象徴に過ぎない。
ブラウザがOSであり、Reactが新しいWin32 APIなのだ。
第4章 最適化される人間 ―― AIが書き、開発者が考える
そして次の最適化対象は、もうCPUでもUIでもない。
人間そのものだ。
AIがコードを提案し、エラーを修正し、文章を書き、
「あなたは何を作りたいのか?」を尋ねてくる。
我々はキーボードではなくプロンプトで命令し、
関数ではなく意図を伝えるようになった。
ここまで来ると、
“プログラムを書く”という行為は“プログラムを設計する人間の思考”へと
最適化されつつある。
いわば、開発者の脳のコンパイルだ。
結章 速くなったのはコンピュータではない
CPUはもう十分速い。
最適化すべきは人間の時間、思考、そして創造の流れだ。
コンパイルのバーが進むよりも、
アイデアが形になるスピードのほうが重要になった。
それがReactで動くOutlookの意味であり、
AIがエディタを乗っ取る時代の予兆でもある。
“速い”の定義が変わったのだ。
今、最適化されているのは私たち自身である。

