GPUの歴史 ─ 第5章:GPGPU ─ GPUが“描く”を捨て、“計算”へ向かった日

GPUの歴史 ─ 第5章:2001年、3Dは「描画」から「表現」へ変わった TECH

それは、光と影を描くための装置が、
科学を計算し、AIを生み出す計算機へ変貌した瞬間だった。


◆ プログラマブルシェーダ ─ 世界を“描く自由”の獲得(2001)

GeForce3(2001)と Radeon 9700(2002)が登場するまで、GPUは**「固定機能」**だった。

  • 光の当たり方 → GPUが勝手に決める
  • 影の形状 → GPUが勝手に決める
  • 水面の揺らぎ → GPUが勝手に決める

ゲーム開発者は、GPUが用意した“箱庭”の中でしか表現できなかった。

そこに登場したのが プログラマブルシェーダ

  • Vertex Shader(頂点の加工)
  • Pixel Shader(質感・光・影を制御)

「描画処理をプログラムできる」という自由を手に入れた。

水面に反射する夕陽。
金属の冷たい光沢。
肌に落ちる柔らかい陰影。

表現が“デザイン”になった瞬間だ。


◆ ゲーム開発者より先に、科学者が飛びついた

プログラマブルになった GPU を見た科学者は、こう考えた。

「これで計算したら、CPUより速いのでは?」

そこで発明された裏技が Shader abuse(シェーダ悪用)

  • 画像としてデータを送り
  • シェーダで計算し
  • 結果をテクスチャとして回収する

GPU を 計算機として使っていた

「描画処理」を 偽装して計算 していたのだ。


◆ CUDAの登場 ─ NVIDIAが“裏技”を正規ルートに変えた(2006)

NVIDIAは、世界で初めてこう宣言した。

「GPUで描画以外の計算をしなさい。」

GPU は 3D のための装置ではなく、
並列計算に特化したコンピュータ だと。

そして CUDAを発表した。

  • C / C++ で GPU を叩ける
  • 描画 API を経由しなくていい
  • シェーダ悪用が不要に

GPU = GPGPU(汎用計算用GPU) の誕生である。

この瞬間、GPUは 計算プラットフォーム になった。


◆ OpenCL vs CUDA ─ “オープン”と“独占”の戦い

陣営APIコンセプト
NVIDIACUDA専用・速い・エコシステム戦略
AMD / Apple / IntelOpenCLオープン・汎用・標準路線

結果は明白。

  • AI研究者は CUDA を選んだ
  • 科学技術計算も CUDA に乗った
  • データセンターも CUDA を前提にした

CUDA を覚えることが、未来への入場券になった。


◆ 科学 / 暗号解析 / 機械学習へ拡張

GPU はゲームを捨て、
科学計算を奪い始めた。

分野GPU が奪い取ったもの
流体シミュレーションCPUクラスターの領域
タンパク質解析スーパーコンピュータ
暗号解析ASIC の一部を置き換え
機械学習(深層学習)GPUが標準

GPUはこうして 研究者のコンピュータ になった。


◆ 結論:GPUは“世界を描く装置”から “世界を計算する装置”へ

GPU の進化曲線はこうだ。

固定機能T&L ──▶ Shader(描画の自由) ──▶ CUDA / GPGPU(計算の自由)

Shader は “表現の自由” をくれた。
CUDA は “発見の自由” をくれた。

GPUが捨てたもの:描画に閉じた存在
GPUが得たもの:世界を計算する存在

プログラム可能になったことで、
GPUは アート科学 の両方を動かすようになった。


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