それは、ただのチップの進化ではない。
コンピュータが “世界を描く力” を手に入れた瞬間だった。
◆ プレレンダーの時代が終わった
1990年代後半、PCゲーム市場を支配していたのは 3Dfx Voodoo だった。
- Voodoo Graphics(1996)
- Voodoo2(1998)
- SLI(Scan-Line Interleave)
Quake のフレームレートを倍にする魔法のボード。
箱を開ければ「3Dfx Interactive」のロゴ。それだけで勝利が確定する時代。
だがその強さは ひとつの思想 に依存していた。
「3D描画は3DfxのGlide(独自API)が正義」
Glideを使えば速い。
Glideを使わなければ遅い。
しかし、閉じたエコシステムは、急速に 標準化の波 に飲み込まれていく。
◆ 1999年:GeForce256 ― GPUの誕生宣言
1999年8月31日、NVIDIAはこう言った。
「これはビデオカードではない。GPUだ。」
GeForce256。
世界で初めて T&L(Transform & Lighting)をハードウェア化した チップ。
| 従来の3Dアクセラレータ | GeForce256(GPU) |
|---|---|
| CPUがジオメトリ計算 | GPUが頂点を計算(T&L) |
| 3D描画は“補助装置” | 3D描画はGPUの仕事 |
| ポリゴンは増やせない | 頂点を増やせる=表現力が上がる |
T&Lの衝撃は、ゲームの世界を一変させた。
CPUに頼っていた「頂点の変換とライティング計算」をGPUが肩代わりすることで、
ポリゴン数の上限が一気に消えた。
今まで “平らだったオブジェクト” に立体感が宿り、
キャラクターの陰影がリアルに変化する。
3Dがようやく「現実と戦えた」瞬間だ。
そして、GeForce256 は 業界の単語を決めてしまった。
- Graphics Processing Unit = GPU
それは NVIDIAのネーミング だったが、
世界はそれを受け入れた。
◆ Voodooの終焉:Glide の死と DirectX / OpenGL の台頭
1999〜2000年、戦場に新たな支配者が現れる。
- DirectX 7(Microsoft)
- OpenGL(SGI → Khronos Group)
共通点は 「開かれた標準 API」であること。」
開発者は Glide ではなく DirectX / OpenGL を選び始めた。
標準化に飲まれた瞬間、Voodooの魔法は解けた。
Glide の呪いが解けたゲームたちは、
より自由に、より表現豊かに進化していく。
3Dfx が倒産するのは 2000年。
その資産は NVIDIAが買い取る。
3Dfxの魂は、NVIDIAの血となった。
◆ DirectX vs OpenGL ─ “理想と現実”の戦い
OpenGL
- SGI由来、プロ向けのアーキテクチャ
- 高品質で柔軟
- Quake / Half-Life / Unreal で猛威を振るった
DirectX(Microsoft)
- Windows に最適化
- ゲーム向け
- 1999年:DirectX 7 でハードウェアT&Lサポート
T&Lを最初に採用したのは GeForce256(DirectX 7)
つまり、
DirectX が GPU を定義し、NVIDIA が GPU を完成させた。
◆ 文化的影響:3Dは“テクノロジーの象徴”から“生活の一部”へ
1990年代後半、GPUは単なる部品ではなかった。
- PCショップのショーケースには「Voodoo」のロゴ
- 雑誌はベンチマークで勝敗を決める
- BBS では「どのボードがQuakeで速いか」が争点になる
グラフィックカードを買う行為が、自己表現だった。
そして、その火を一気に加速させたのが LANパーティ文化(Quake / Unreal)。
巨大なCRTを抱えて仲間の家に集まり、
「fps」「ポリゴン」「フィルレート」で夜を徹する。
GPUは、文化そのものになった。
結論:名は力になる ─ “GPU”という言葉が未来を決めた
GeForce256 が登場するまでは、
3Dチップは “アクセラレータ” にすぎなかった。
だが、1999年、世界は“GPU”という概念を手にした。
- 設計思想が変わった
- APIが標準化された
- ゲームが「リアルに向かう」と決まった
GPUは CPU の補助装置ではなくなった。
GPUは世界を描くコンピュータになった。
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