データが示す生成AIブームの実像─ 2025年を振り返り思うこと

データが示す生成AIブームの実像─ 2025年を振り返り思うこと TECH
データが示す生成AIブームの実像─ 2025年を振り返り思うこと

2025年は、生成AIについて語る言葉が、急に多くなった一年だった。
新モデルの登場、検索の置き換え、業務への浸透、エージェント化。
どの話題も「次の時代」を指し示しているように見えた。

しかし同時に、奇妙な違和感も残った。
これほど語られているにもかかわらず、
何かが決定的に変わったという実感は、意外なほど薄い。

生成AIは世界を壊したのだろうか。
あるいは、何も壊していないのだろうか。
この問いに対して、感情や期待ではなく、
データだけを並べて眺めると、別の輪郭が見えてくる。

検索は崩れていない。
それでも、使われ方は変わった。
圧倒的なシェアを持つサービスでさえ、
数字の中に小さな揺らぎが現れている。
一方で、最も有利な場所に置かれたはずのAIが、
ほとんど使われなかったという事実もある。

本記事は、生成AIの是非を論じるものではない。
未来を予測することもしない。
2025年という一区切りの時点で、
生成AIが「何を壊し、何を壊さなかったのか」、
そして人間がAIに期待していた役割が、
どこで定義され直されたのかを振り返る試みである。

大きな結論は用意していない。
ただ、数字が示している実像を一つずつ確認し、
その先に残る問いだけを、静かに置いていく。

2025年は、生成AIが語られなくなった年ではない。
むしろ、語られすぎた年だった。
だからこそ、一度立ち止まり、
何が起きていたのかを整理する価値がある。

ここから、その振り返りを始めたい。

  1. 2025年 生成AI主要トピック年表
    1. 1月:動画生成が“覇権争い”フェーズへ
    2. 2月:OpenAI「GPT-4.5」投入(大規模・高品質の研究プレビュー)
    3. 3月:Runway「Gen-4」— 動画生成で“世界の一貫性”を前面に
    4. 4月:画像・マルチモーダルの大きな節目が集中
    5. 5月:コーディング/制作補助が“日常ツール”へ
    6. 6月:Midjourney V7がデフォルト化(= 以後の標準)
    7. 7月:音楽生成が“プロダクション化”していく
    8. 8月:OpenAI「GPT-5」— “次の基準点”が更新される
    9. 9月:動画と音楽が一気に“プロダクト化”する月
    10. 10月:クリエイティブスイートが“生成AIの母艦”になる
    11. 11月:Google「Gemini 3」— 大手が“次世代の旗”を立てる
    12. 12月:規格・標準化が前に出る(エージェント時代の“配線図”作り)
  2. 第1章 生成AIブームは、本当に世界を変えたのか
  3. 第2章 AI検索は、Googleを殺さなかった
  4. 第3章 生成AIは、検索の代替として使われていなかった
  5. 第4章 GPT 87%から68%へ──寡占が示す「安定」と「不安定」
  6. 第5章 OSに置かれても使われなかったAI──Copilot 1.2%が示す事実
  7. 第6章 「接触時間」は価値にならなかった──Microsoft戦略の誤算
  8. 第7章 人はAIを何に使ってきたのか──創作・思考・相談という実像
  9. 第8章 答えがあるものは、AIに置き換えられた
  10. 第9章 画像はオンデマンドに、教育はパーソナライズドに
  11. 第10章 壊れなかった世界と、再定義された価値
  12. 第11章 エージェントAIという「夢を必要としない成長」
  13. 第12章 生成AIは夢を壊したのではない
  14. 参照

2025年 生成AI主要トピック年表

1月:動画生成が“覇権争い”フェーズへ

  • 年初時点で、OpenAI(Sora)、Google(Veo 2)、Runway などが「テキスト→動画」の主戦場を明確化。生成AIの話題が“文章中心”から“映像中心”へ寄り始める。

2月:OpenAI「GPT-4.5」投入(大規模・高品質の研究プレビュー)

  • OpenAIがGPT-4.5(研究プレビュー)を公開。文章品質や対話の自然さ、創造支援の“上積み”が強調され、開発者・運用者の期待値が一段上がる。

3月:Runway「Gen-4」— 動画生成で“世界の一貫性”を前面に

  • RunwayがGen-4を発表。キャラクターやロケーションの一貫性(ショットを跨いで破綻しない)を強く打ち出し、「動画生成は破綻芸」から「制作ツール」へ寄せる流れを象徴。

4月:画像・マルチモーダルの大きな節目が集中

  • Metaが「Llama 4」を公開(マルチモーダル、MoE系)。OSS寄り勢力の“選択肢”が増え、企業の内製ルートが太くなる。
  • Midjourneyが「V7」リリース。画質・整合性に加え、Draft ModeやOmni Referenceなど“運用機能”側の進化も目立つ(のちにデフォルト化)。
  • AdobeがFireflyに外部モデル(OpenAIやGoogle等)も取り込む方針を発表し、「生成AIが単体アプリで勝つ」から「制作スイートに統合される」空気を加速。

5月:コーディング/制作補助が“日常ツール”へ

  • AnthropicがClaude Sonnet 4 / Opus 4(Claude 4世代)を展開し、特にコーディング用途の実用圧を上げる。
  • Sunoがv4.5(有料向けベータ)を投入。曲生成は「面白い」から「それっぽく仕上がる」へ、滞在時間と依存度が上がる。
  • Udioが機能拡張(アプリ/制作機能の更新)を進め、AI作曲が“遊び”から“制作環境”へ寄っていく。

6月:Midjourney V7がデフォルト化(= 以後の標準)

  • MidjourneyのV7がデフォルトモデルに。画像生成は「新モデルを試す」より「V7前提で回る」状態へ。

7月:音楽生成が“プロダクション化”していく

  • Sunoがv4.5+(制作ツール寄り更新)を進め、長尺・編集・制作フローの方向へ。
  • Grok-4 リリース

8月:OpenAI「GPT-5」— “次の基準点”が更新される

  • OpenAIがGPT-5を公開。「速い/賢い」だけでなく、プロダクト側の体験として“思考込み”を押し出し、各社比較の基準がまた動く。

9月:動画と音楽が一気に“プロダクト化”する月

  • OpenAIが「Sora 2」を発表。動画生成が“見た目だけ”から、より制御・精度・実用の話に踏み込む。
  • Sunoが「v5」を公開し、音質・ボーカルの説得力をさらに上げてくる(ユーザーの期待値も同時に上がる)。
  • Udioも“声”機能などを進め、音楽生成が「歌える」方向へ圧が強まる。

10月:クリエイティブスイートが“生成AIの母艦”になる

  • AdobeがFireflyの新モデル(Image Model 5)や、音声・動画系の生成機能強化を打ち出し、「生成AIは制作現場の中核機能」へ。
  • “エージェント的な部品化(スキル化)”の流れも強まり、作業手順や業務ノウハウがAIに移植されやすくなる。

11月:Google「Gemini 3」— 大手が“次世代の旗”を立てる

  • GoogleがGemini 3を発表。マルチモーダル前提の競争がいよいよ“新章”に入った感が強まる。

12月:規格・標準化が前に出る(エージェント時代の“配線図”作り)

  • AnthropicがMCP(Model Context Protocol)をLinux Foundationの新組織「AAIF(Agentic AI Foundation)」へ寄贈。OpenAIのAGENTS.md等も含め、エージェント相互運用の“標準化ムード”が決定的に。
  • RunwayがGen-4.5を発表し、動画生成の品質競争が年末にもう一段ギアを上げる。
  • Fireflyも継続アップデート(モバイル含む)を進め、制作現場への浸透を止めない。

第1章 生成AIブームは、本当に世界を変えたのか

2025年、生成AIは「当たり前の存在」になった。
少なくとも表向きにはそう見える。

ChatGPT、Gemini、Copilot、Grok。
毎週のように新機能が発表され、
メディアは「AI検索」「AIエージェント」「次の革命」という言葉を繰り返す。

しかし、ふと立ち止まってデータを見ると、
そこには奇妙な静けさがある。

AI検索が騒がれた一年で、
Google検索は致命的な減少を見せていない。
ChatGPTは依然として圧倒的なシェアを持ちながら、
その比率は 87%から68%へ と確実に下がった。
一方、WindowsやOfficeという
「人類で最も接触時間の長い場所」に置かれたはずのCopilotは、
1.2% という数字に留まっている。

これは失敗なのか。
それとも、別の何かを示しているのか。

生成AIは世界を壊したのだろうか。
あるいは、何も壊していないのだろうか。

本記事で扱うのは、
「AIはすごいか」「どのモデルが優れているか」
といった議論ではない。

2025年時点のデータが示しているのは、
生成AIが 何を壊し、何を壊さなかったのか
そして人間がAIに託していた
「役割」がどこで定義され直されたのか、という事実である。

破滅論を語るつもりはない。
楽観的な未来像を描くこともしない。

ただ、数字が語っている現実と、
その背後で静かに進んだ役割の入れ替わりを、
一つずつ確認していくだけだ。

その先に残る問いは、単純だ。

生成AIは進化したのか。
それとも、人類の期待のほうが先に整理されてしまったのか。

ここから、その実像を見ていこう。

第2章 AI検索は、Googleを殺さなかった

2025年は「AI検索元年」とも呼ばれた。
生成AIが検索を置き換え、Googleの時代が終わる──
そんな見出しが、何度も踊った一年だった。

だが、実際のトラフィックデータは、その語り口と噛み合っていない。

AIが検索に使われ始めた一年で、
Google検索は致命的な減少を見せていない。
少なくとも「検索という行為そのもの」が
AIに置き換えられた形跡は確認できない。

これは意外な結果ではない。
むしろ、自然な帰結だ。

検索とは、本来「答えを探す行為」ではない。
・何を探しているか分からない
・言葉にできていない
・選択肢を眺めたい
そうした曖昧な状態を含んだまま進む行為である。

一方、生成AIが得意とするのは
「質問が定義された後」の世界だ。
問いが確定し、目的がはっきりした瞬間から、
AIは圧倒的に強い。

このズレは、利用実態にも現れている。

ChatGPTの利用目的を見ると、
検索代替として使われている割合は決して大きくない。
多くのユーザーは、
調べるためではなく、
考えるため、書くため、相談するためにAIを開いている。

つまり、AI検索が流行ったのではない。
「検索っぽく見えるAI利用」が
そう呼ばれただけだ。

この一年で起きたのは、
Google検索の崩壊ではない。
検索という行為の外側に、
新しい入口が一つ増えただけである。

そしてその入口は、
検索の代替ではなく、
検索に辿り着く前段として使われている。

AIはGoogleを殺さなかった。
それどころか、
検索という行為が持つ役割の強さを、
改めて浮き彫りにした一年だったと言える。

次章では、
では人々は生成AIを「何に」使っていたのか。
検索以外の実態を、もう少し具体的に見ていく。

第3章 生成AIは、検索の代替として使われていなかった

生成AIが検索を置き換える──
この言説が広がった背景には、「使われ方」の誤解がある。

実際の利用データを見ると、
生成AIは検索エンジンと同じ文脈では使われていない。

ChatGPTをはじめとする対話型AIの主な用途は、
おおむね次の領域に集中している。

・創作や文章生成
・実用的なアドバイスや相談
・技術的な問題解決
・思考の整理や壁打ち

いずれも共通しているのは、
「答えを探す行為」そのものではないという点だ。

検索が担ってきた役割は、
既存情報の探索と比較である。
一方、生成AIが使われているのは、
・考えを形にする
・途中の思考を支える
・未完成な状態を前に進める
といった、検索以前の段階だ。

ここで重要なのは、
ユーザーが「検索をやめた」のではなく、
検索に至る前の工程が増えたという事実である。

AIは「調べる」ために開かれたのではない。
「考えがまとまらない」「書き出せない」「相談相手がいない」
そうした状況で使われている。

この使われ方を、
検索の代替と呼ぶのは正確ではない。

むしろ生成AIは、
検索とは異なる行為を引き受けた結果、
検索の一部と誤認されたに過ぎない。

だからこそ、
AI検索が話題になった一年でも、
検索市場そのものは崩れなかった。

生成AIは検索を壊していない。
検索とは別の場所で、
別の役割を担ってきただけである。

次章では、
この「役割の違い」が、
なぜシェアの変動として現れたのか。
GPTの87%から68%への変化を手がかりに見ていく。

第4章 GPT 87%から68%へ──寡占が示す「安定」と「不安定」

2025年時点でも、ChatGPTは生成AI市場で最大のシェアを持っている。
68%
この数字だけを見れば、盤石と表現して差し支えない。

だが、同時に見逃せない変化がある。
前年に 87% を占めていたシェアが、
一年で約20ポイント低下したという事実だ。

重要なのは、「首位であるかどうか」ではない。
寡占状態の中で、なぜ変動が起きたのかという点である。

通常、ここまで高いシェアを持つサービスは、
急激な変化が起きにくい。
ネットワーク効果、学習コスト、習慣化。
あらゆる要素が、現状維持に働く。

それでも数字が動いた。

これはユーザーが一斉に離れたことを意味しない。
多くの場合、こうした変化は
「完全な乗り換え」ではなく、
選択肢が増えた結果として起きる

生成AIの利用は、
単一サービスへの依存から、
用途ごとの使い分けへと移行し始めている。

・書くときはA
・調べる前段はB
・業務ではC

この分散は、
トップシェアを持つ側にだけ、
はっきりとした「低下」として現れる。

つまり、68%という数字は
弱体化の証拠ではない。
成熟段階に入った市場の兆候だ。

同時に、もう一つの側面もある。

寡占市場では、
小さな違和感が積み重なると、
数字として顕在化しやすい。

利用が「当たり前」になったとき、
ユーザーは性能ではなく、
体験の変化に敏感になる。

この章で確認しておきたいのは、
GPTが強いか弱いか、ではない。

生成AI市場が、
「誰か一人が正解を握る段階」を
すでに通過しつつある、という事実だ。

次章では、
この文脈の中で異彩を放つ数字──
Copilot 1.2% を取り上げる。

第5章 OSに置かれても使われなかったAI──Copilot 1.2%が示す事実

生成AIの普及を語る上で、
Copilotのシェア1.2% は避けて通れない数字だ。

Microsoftは、
WindowsとOfficeという
世界で最も接触時間の長いプラットフォームを持つ企業である。
業務時間、学習時間、日常作業。
その多くが、Microsoft製品の上で行われている。

理屈の上では、
ここにAIを組み込めば、
使われない理由は見当たらない。

だが、現実は違った。

Copilotは、
OSやアプリケーションに「置かれた」。
しかし、それだけでは使われなかった。

この事実は、
AIの性能や価格の問題では説明できない。

重要なのは、
人がAIを起動する理由だ。

生成AIは、
そこに「ある」から使われるわけではない。
必要だから、
あるいは話しかけたくなるから、
自発的に開かれる。

OSに常駐することは、
利便性を高める一方で、
AIを「機能」に押し込める。

・補助
・支援
・自動化

その枠に収まった瞬間、
AIは意識の外に追いやられる。

Copilot 1.2%という数字が示しているのは、
AIが失敗したという話ではない。

人は、
AIを“常駐機能”としては求めていなかった

という事実である。

接触時間の長さは、
利用の動機にはならなかった。

次章では、
この結果を踏まえて、
なぜMicrosoftの戦略が噛み合わなかったのか。
「接触時間」という考え方そのものを、
もう一段掘り下げていく。

第6章 「接触時間」は価値にならなかった──Microsoft戦略の誤算

Copilotの結果が示したのは、
単なる普及の遅れではない。

そこには、
生成AIに対する前提の誤認があった。

Microsoftの戦略は明快だった。
人が長時間触れている場所にAIを置けば、
自然に使われるはずだ、という発想である。

これは、
これまでのソフトウェア史では
合理的な考え方だった。

・ブラウザ
・オフィススイート
・OS機能

いずれも、
「接触時間」が価値に直結してきた。

しかし、生成AIは同じ文脈では動かなかった。

生成AIは、
使われる前に「理由」を必要とする。
起動の動機がなければ、
そこにあっても開かれない。

・何を頼みたいのか
・何に困っているのか
・何を考えたいのか

この前提が揃ったときにだけ、
AIは呼び出される。

OSに組み込まれたAIは、
この「呼び出す理由」を
ユーザーに与えなかった。

結果として、
AIは便利な補助機能の一つとして整理され、
意識の外に置かれる。

これは、
生成AIが「業務に向かない」ことを示しているのではない。

生成AIは、
“常にそこにある存在”としては
設計されていなかった

という事実を示している。

この誤算は、
Microsoft特有のものではない。

生成AIを
機能として配布し、
習慣化させようとする試みは、
多くの企業で同じ壁にぶつかっている。

次章では、
では実際に人々は
どのような動機でAIを使ってきたのか。
利用の中身そのものを見ていく。

第7章 人はAIを何に使ってきたのか──創作・思考・相談という実像

生成AIの利用実態を整理すると、
そこには一貫した傾向が見えてくる。

人々がAIを開く理由は、
効率化や自動化だけではなかった。

多くの場合、
AIは次のような場面で使われている。

・文章を書く前
・考えがまとまらないとき
・誰かに相談したいとき
・技術的な壁にぶつかったとき

いずれも共通しているのは、
作業の途中であるという点だ。

完成された答えを得るためではなく、
未完成な状態を前に進めるために、
AIは呼び出されている。

創作においても同じだ。
白紙を前にしたとき、
構想が散らばっているとき、
一人では進めないと感じたとき。

AIは、
答えを与える存在ではなく、
思考を進めるための相手として使われてきた。

この使われ方は、
従来のソフトウェアとは明らかに異なる。

ツールは、
「使う」「使わない」がはっきりしている。
一方、生成AIは、
話しかけたいかどうか、という
曖昧な判断で起動される。

ここに、
Copilotのような常駐型AIが
馴染みにくかった理由がある。

人は、
必要なときにだけ、
相手を呼び出す。

生成AIは、
機能ではなく、
関係性の中で使われてきた

次章では、
この特性が、
なぜ「答えがあるもの」から
先に置き換えを起こしたのか。
もう一段、踏み込んで整理していく。

第8章 答えがあるものは、AIに置き換えられた

生成AIが影響を与えた領域を見渡すと、
一つの共通点が浮かび上がる。

それは、
答えが定義できるものから先に変化が起きた
という点だ。

ここで言う「答えがある」とは、
唯一の正解が存在する、という意味ではない。
一定の条件を与えれば、
合理的な解が収束する領域、という意味である。

生成AIは、
この性質を持つ分野において、
極めて強い。

・手順が決まっている
・評価軸が明確
・結果の妥当性を検証できる

こうした条件が揃ったとき、
AIは人間よりも速く、
安定した出力を返す。

その結果、
変化は「破壊」という形ではなく、
静かな置き換えとして進んだ。

人は気づかないうちに、
これまで人間が担っていた工程を、
AIに任せ始めている。

重要なのは、
ここで起きたのが
創造の否定ではない、という点だ。

曖昧さや判断を含む領域は、
依然として人間の側に残っている。

生成AIが先に入り込んだのは、
迷いが少なく、
結論に辿り着ける場所だった。

次章では、
この構造が具体的にどのような形で現れたのか。
画像、教育、FAQという事例を通して見ていく。

第9章 画像はオンデマンドに、教育はパーソナライズドに

第8章で見た
「答えがあるものから置き換えが起きた」という構造は、
いくつかの分野で分かりやすく現れている。

その代表例が、画像生成と教育、そしてFAQだ。

まず画像分野では、
「素材を探す」という行為そのものが変化した。

従来は、
ストックフォトやイラスト素材から
条件に合うものを選ぶ必要があった。
しかし生成AIの普及によって、
必要なときに、必要な条件で画像を生成する
オンデマンド型の利用が広がった。

ここで重要なのは、
創作そのものが否定されたわけではないという点だ。
置き換えが起きたのは、
汎用性を前提とした素材の流通である。

教育分野でも、
同じ構造が見られる。

一斉授業や画一的な教材は、
理解度の差という問題を抱えてきた。
生成AIは、
学習者ごとに説明を変え、
理解の進度に合わせることができる。

その結果、
「同じ内容を、同じ形で教える」
という前提が揺らぎ始めている。

ここでも、
教育そのものが壊れたわけではない。
変化したのは、
説明の提供方法だ。

FAQについては、
言うまでもないだろう。

決まった質問と答えを
一覧で提示する形式は、
生成AIとの相性が極めて悪い。
問いを投げれば、
文脈に応じた答えが返る以上、
静的なFAQページは役割を終えつつある。

これらの事例に共通しているのは、
創造や判断の否定ではなく、
探索や説明の工程が短絡化した
という点である。

次章では、
では逆に、
生成AIが入り込めなかった領域、
壊れなかった世界について見ていく。

第10章 壊れなかった世界と、再定義された価値

生成AIの影響を受けなかった領域は、
決して少なくない。

むしろ、
多くの分野では「破壊」は起きていない。

検索、メディア、エンターテインメント、
そして多くの仕事の現場。
これらは生成AIの登場後も、
形を変えながら存続している。

ここで重要なのは、
「AIが弱かったから残った」のではない、という点だ。

壊れなかった領域には、
共通する特徴がある。

・評価が主観的
・文脈が複雑
・結果が一つに定まらない
・責任の所在が人間に帰属する

こうした条件が揃う場所では、
生成AIは前面に出にくい。

代わりに、
補助や下支えとして使われる。

文章を書く仕事であれば、
構成案や下書きに留まる。
企画や意思決定であれば、
材料整理までを担う。

AIが担ったのは、
仕事そのものではなく、
仕事に入る前の摩擦だった。

その結果、
価値の所在が変わった。

・作ること
・選ぶこと
・決めること

これらの行為が、
より人間側に明確に残る。

生成AIは、
世界を壊さなかった。
代わりに、
どこに人間の判断が必要かを、
はっきりさせただけ
とも言える。

次章では、
この流れの中で急速に注目を集めている
エージェントAIについて見ていく。

第11章 エージェントAIという「夢を必要としない成長」

生成AIを巡る議論が一巡する中で、
静かに存在感を増しているのが
エージェント型AIである。

エージェントAIは、
対話や創作を主目的としない。
与えられた目標に対して、
タスクを分解し、
必要な処理を自律的に実行する。

そこに、
人間が期待してきた
「知性」や「人格」の香りは薄い。

だが、
この領域だけは明確に伸びている。

業務の自動化、
調整作業、
監視や更新。
人間が時間を割いてきた
無数の細かな工程が、
そのまま価値に換算される。

予測では、
2030年には
エージェントAI関連市場は
100兆円規模に達するとされている。

この数字は、
夢の大きさを示しているのではない。
人間が処理してきた雑務の総量
表しているに過ぎない。

エージェントAIは、
期待を裏切らない。
なぜなら、
最初から夢を語らないからだ。

責任の所在が明確で、
成果が測定でき、
経済合理性に適合する。

いま、
多くの企業やメディアが
この分野に注目し始めたのは、
必然と言える。


第12章 生成AIは夢を壊したのではない

2025年の瀬戸際で私たちが立っているのは、かつて描いた壮大な「知性との邂逅」という夢の跡地である。

そこには、世界を裏返すような革命の炎は燃えていない。代わりに広がっているのは、100兆円の経済価値を生むと約束された、巨大で効率的な「事務処理工場」の風景だ。

かつて、私たちはAIに鏡を見ていた。 言葉を交わし、思考を深め、自分たちの孤独を埋めてくれる「新しい隣人」の誕生を期待した。しかし、データが突きつけた現実はもっと乾いている。AIは隣人になることを望まれず、OSの片隅で、あるいはブラウザの裏側で、人間が嫌がる雑務を肩代わりする「見えない歯車」として再定義された。

MicrosoftがCopilotをOfficeの奥深くに埋め込んだのは、その最たる象徴だ。 知性は、事務用品になった。 便利にはなったが、そこにはもはや、あの初期のChatGPTに触れたときのような「震えるほどの未知」は宿っていない。

生成AIは、人類の夢を壊したのではない。 ただ、私たちの夢が、資本主義の合理性という重力に耐えられなかっただけだ。 期待されていた「知性としてのAI」は、責任とコストの天秤にかけられ、いつの間にか「性能の良いエージェント(代理人)」へと姿を変えた。

夢の跡地に残っているのは、効率化された業務フローと、パーソナライズされた教育コンテンツと、オンデマンドで生成される安価な画像。そして、それらを淡々と消費する私たちの日常だ。

2025年は、AIが語られすぎた年だった。 だがそれは、AIが「何者か」になることを諦め、「何かの道具」として定着することを選んだプロセスでもあった。

私たちは、AIという魔法を、ついにただの電気に変えることに成功したのだ。 その便利さを享受しながら、心のどこかで感じているこの言いようのない寂しさに、まだ名前はない。

ただ一つ確かなのは、数字が示すこの静かな実像こそが、私たちが選んだ未来の姿だということだ。 ここから、新しい一年が始まる。

参照

AI Global – Global Sector Trends on Generative AI / similarweb (PDF)