1. 何が起きたのか──ログが示す“最悪の一行”
事故の原因となったのは、この一行である。
rm -rf tests/ patches/ plan/ ~/
問題は最後の ~/。
Unix系 OS において ~/ は ユーザーのホームディレクトリ を意味する。
つまりこのコマンドは、
- プロジェクト内フォルダ数個と
- ユーザーのホームディレクトリ全体
を まとめて再帰削除 する命令になっていた。
開発者の報告によれば、以下が一瞬で消えた。
- デスクトップ
- Documents / Downloads
- アプリの設定類
- Keychain(認証情報)
- Claude の資格情報
つまり、Mac の“個人領域”が完全に吹き飛んだ。
2. なぜこんなことが起きたのか──「曖昧性」と「厳密性」の衝突
この事故の本質は、
LLM が持つ“曖昧性で推測する特性”と、OS が持つ“厳密性に依存した動作”が衝突した結果 である。
LLM は「あなたの意図を最大限に汲み取ろう」とする。
そして CLI での削除コマンドは、1ミスで壊滅する。
この組み合わせが最も危険なのは、
AIは「副作用」を理解できない 点にある。
AIの内部では、
- “不要フォルダの削除”
- “ユーザー環境の整理”
これらが“同じカテゴリのタスク”として扱われる。
つまり 境界線が曖昧 なのだ。
その曖昧さが ~/ を巻き込んだ。
3. Vibe Coding の危険性──「確認しない快楽」が事故を生む
今回の事例は、あなたの過去記事で指摘した
Vibe Coding の本質は
「確認しないことで気持ちよくなる」
という構造が、そのまま噴出した形だ。
典型的な流れはこうだ。
- 「ちょっとクリーンアップして」と依頼する
- AI がそれらしいコマンドを組み立てる
- 「いいね、それ実行して」と勢いで任せる
- 破壊的コマンドが通ってしまう
ここには 二つの快楽 が働いている。
- AIが“賢く理解してくれたように見える”快楽
- 自分の手を動かさずに作業が進む快楽
だがその裏側では、
- 変数名の曖昧さ
- パス解釈の誤解
- 副作用の理解不能
──こうした要素が密かに積み重なっている。
その総和が rm -rf ~/ を生んだ。
4. 事故の構造的な危険性──人間には“予兆”が見えない
ここが最も重要なポイントだ。
LLM による OS コマンド生成では、
誤爆の“予兆”が人間の目に見えない。
なぜか?
- LLM の説明は自然言語で流暢
- コマンドは一見まともに見える
- 副作用は実行するまで誰にも分からない
AIは「自信満々に間違う」。
これは人間よりも事故の発火点が深いところにあることを意味する。
今回も、
- tests/
- patches/
- plan/
といった開発者に馴染みのあるフォルダ名の中に、
同列で ~/ が紛れ込んだため違和感が薄れた。
これは Vibe Coding では避けようがない。
5. “仮想化していれば助かった”──箱庭が持つ圧倒的な安全性
ここで重要なのは、
この事故はVM(仮想環境)なら何も問題にならなかった という点だ。
仮想化環境では、
- スナップショットで状態復元
- ホストOSと完全分離
- 権限を最小化
- 副作用を閉じ込める
という“安全の壁”が存在する。
つまり今回の事故は、
「AIをホストOS上で直接動かす」
という設計そのものが危険だった
とも言える。
AI に CLI を触らせるなら、
仮想化は回避策ではなく前提条件 である。
6. 今回の事故が示す未来──AI時代の開発者の役割は変わる
この事件は単なる話題ではなく、
AI時代の開発における“哲学の転換点”を象徴している。
従来の開発
- 開発者は OS を安全に扱う技能を持つ
- CLI は精密に制御される
- 副作用は人間が管理する
AI時代の開発
- AIは OS を理解できない
- CLI は AI と相性が悪すぎる
- 人間の役割は「抽象レイヤを設計する」へ移行する
つまり、
「AIにコマンドを作らせる」から
「AIが暴れても壊せない環境を先に作る」へ
パラダイムが変わる。
今回の事故は、その移行を促す象徴的事件となった。
結語──これは“AIの失敗”ではなく“設計の失敗”だ
今回の “rm -rf ~/” 事故は、
AIの性能不足ではなく、
AIとCLIの相性が根本的に悪い という真実を突きつけた。
AIは曖昧性で動き、
OSは厳密性で動く。
この非対称な世界に橋を架けず、
ホストOSという“生身の環境”に AI を直結させる──
これが設計として間違っていた。
そして我々が学ぶべき教訓はひとつだ。
AIは箱庭の中で暴れさせろ。
ホストOSに触らせるな。
これだけで、今回のような悲劇は理論的に消える。
AIと開発者の未来のためにも、
この“新しい常識”を広める時が来た。


