行政の体裁、企業の利権、そして国民の無関心が生むねじれた構造
序章|「未成年者保護」という絶対正義の影
“未成年者の保護”ほど、扱いやすく、反論しづらい旗印はない。
行政はそれを掲げれば、批判を回避できる。
企業はそれを利用すれば、新たな市場を拓ける。
国民はそれを聞けば、「まあ必要なのだろう」と深く考えずに従う。
だが、その「絶対正義」の背後には、
誰も語ろうとしない構造の歪みがある。
世界で進む年齢確認法──
Apple Wallet、Google Wallet によるデジタルID義務──
VPN契約急増という“回避行動”──
そして、責任の最終地点として家庭だけが負担を負う構造。
これは、本当に未成年者を守る制度なのか?
あるいは、制度が自らを守るために未成年者を利用しているだけなのか?
国民が深刻な問題と感じていない領域に、
制度だけが過剰に伸びていく。
この奇妙なねじれの正体こそ、
「未成年者保護の欺瞞」である。
第1章|行政が欲しかったのは「結果」ではなく「体裁」だった
法治国家には、独特の習性がある。
それは 「問題が指摘されたら、実効性より“体裁”を優先する」 というものだ。
制度をつくれば、国は“やりました”と言える。
責任の矛先を避けるためのバリアとして、制度はきわめて便利だ。
未成年者保護。
子どもの健全育成。
社会倫理の向上。
これらは“正義”として反論の余地がない。
だからこそ行政は、まっ先にこの言葉を持ち出す。
だが多くの場合、その“正義”はあまりにも軽い。
向こう側が透けて見えそうな薄っぺらい社会正義。
タスポがそうだった。
喫煙者のためでも、販売者のためでもなく、
ただ政府が批判を受けたくないがために導入された制度だった。
そして騒ぎのわりに、誰も得をしなかった。
今回の年齢確認法も同じ構造だ。
世界中で行政が示すのは、“未成年者保護”という大義名分。
しかし実際に国民が困っているわけではない。
問題の深刻さも、喫緊の必要性も、まったくない。
行政が守ろうとしていたのは、
未成年でも平等なアクセスでもない。
行政自身の“面子”と“無策の露呈”を避けるための体裁だった。
本当に守るべきものは何か──
その核心には一切触れず、
“制度だけ”が整然と積み上がっていく。
第2章|企業と国家の利害が一致する瞬間:デジタルIDの“蜜”
行政が体裁を整えるために掲げる“未成年者保護”。
だが、制度が現実に動き出すとき、その背後にはもう一つの巨大な力が働く。
民間の巨大プラットフォーマーと国家権力の利害一致。
ミズーリ州の年齢確認法が示したように、
AppleとGoogleは、突然「デジタルIDを提供せよ」と呼び出された。
本来なら国家が担うべき「個人識別インフラ」を、
OSメーカーが“義務付けられる”という奇妙な構図だ。
だが、この奇妙さは、企業側にとってはむしろ好都合だ。
- Apple Wallet に公的IDが載る
- Google Wallet に運転免許証が載る
- 年齢認証のためにスマホが“必須”になる
- 決済・ID・行動データがOS経由で統合される
行政は「未成年保護」という名目を掲げるだけ。
その裏側で、AppleとGoogleは“世界共通身分証の萌芽”を手にする。
これを「偶然」と思うのは、あまりにも善良すぎる。
国家は監視と統治の効率化を欲しがる。
企業はIDと決済の中枢を手に入れたがる。
そして両者にとって“未成年者保護”ほど使い勝手の良い大義はない。
本来なら国民が疑うべきはここだ。
- なぜ公的IDを民間が握るのか
- 誰がデータを統合し、誰が利益を得るのか
- 本当に子どもを守るための設計なのか
- そもそも子どもの実害がどれほどあったのか
だが、国民はそこを問わない。
行政は体裁を得る。
企業は利権を得る。
そして制度だけが“正義の衣”をまとって進む。
未成年者保護という薄い幕の向こうで、
国家と資本は、着々とIDインフラの共有地を築き始めている。
それはタスポのときにも見えた構図の、さらに巨大化したバージョンだ。
違うのは、今度は世界規模で起きているということだ。
第3章|責任の最終地点は“家庭”に落ちる:実効性ゼロの構造
制度ができるたびに、必ず最後にこう言われる。
「親の責任だ」
タスポのときもそうだった。
深夜の喫煙? 親の管理。
子どもが勝手に吸った? 家庭の問題。
今回の年齢確認も同じ構造だ。
どれだけ制度を作ろうが、
どれほど技術を投入しようが、
“結局、子どもの行動は家庭の責任”というオチに収束する。
つまり——
行政は自分の責任を負わない。
企業はシステム提供で利益を得る。
そして親だけが、すべての責任をかぶる。
制度の実効性が低い理由は明白だ。
■ 1. 問題そのものが深刻でない
国民は困っていない。
日常で切迫した危機もない。
だから制度は“形骸化”し、“運用だけ”が残る。
■ 2. 行政は結果を出す必要がない
制度を作れば仕事は完了した事になる。
あとは「未成年者保護」という大義名分が永遠に残る。
■ 3. 企業はID紐づけで市場を拡大
Apple Wallet も
Google Wallet も
今回の年齢確認法の“最大の受益者”だ。
■ 4. 家庭だけが責任を負う構造
どれほど制度が増えても、
子どもの行動を止められるのは家庭だけ。
それも、国民の大半が気づかないままに。
こうして「制度は山ほど作られるが、問題は改善しない」という歪みが完成する。
行政の正義は薄く、
企業の意図は透けて見え、
最後だけは家庭が責任を押し付けられる。
これは“未成年者保護”ではなく、
責任の押し付け先を用意しただけの制度だ。
第4章|“誰も困っていないのに”制度だけ増える社会の沈黙
未成年者の年齢確認。
たばこの自販機。
オンライン認証。
フィルタリング義務。
これらの制度には共通点がある。
当の国民は、ほとんど困っていない。
深刻な被害が噴出していたわけでもない。
混乱した社会問題があったわけでもない。
生活が破綻するほどの危機があったわけでもない。
むしろ国民が求めていたのは、
行政や企業が騒ぎ立てるものとは別の領域だった。
- 発達障害の急増という本質的問題
- SNS依存や家庭教育の断絶という構造問題
- 子どもの“安全な居場所”の確保
- 学校現場の崩壊と教育投資の不足
ところが制度が向かう方向は、ほぼ例外なく “手っ取り早く説明できる領域” に偏る。
そして国民は、このズレに対して声を上げない。
いや、もっと正確に言えば、
声を上げねばならぬほどの切迫感がない。
たばこの自販機にタスポを入れようが、
年齢確認がスマホのIDに紐づこうが、
行政が満足してくれるなら別に構わない――
という静かな諦念。
この静けさこそが、制度を暴走させる最大の燃料だ。
- 社会の大問題ではない
- 行政の体裁は保たれる
- 企業は利益を得る
- 国民は深刻に困っていない
- だから反対運動も起こらない
こうして制度だけが、ひとりでに“自己増殖”を始める。
国民がまるで関心を寄せていない領域で、
制度は勝手に進化し、厳格化し、広がっていく。
人々が「別に困っていない」という理由で沈黙するたび、
行政と企業は“さらなる前例”を手に入れる。
第5章|制度が制度を呼ぶ:前例主義という日本型テクノロジー統治
一度制度ができると、
行政はその制度を“既成事実”として扱い始める。
タスポが前例になり、
マイナンバーが前例になり、
顔認証が前例になり、
そして今回の デジタルIDによる年齢確認 も、
次の制度を呼び込む“鋳型”になる。
これは偶然ではない。
日本型ガバナンスの特徴である 前例主義 が、
テクノロジー領域をも支配しているからだ。
■ 1. 「やれた」実績が次の義務化の根拠になる
タスポが導入できた。
だから“未成年保護のためのID義務化は可能”というロジックが生まれる。
現実の運用結果はどうでもよく、
制度を通せたという一点だけ が次の判断材料になる。
■ 2. マイナンバーの本来目的が変質する
住民票→税→健康保険→銀行口座→本人確認→…
マイナンバーの紐づけ対象は、
国民の声ではなく“行政の都合”で増えてきた。
そして今、OSレベルのID統合は、
“マイナンバーの民営化”に等しい前例になる。
■ 3. 技術が制度に飲み込まれる
本来、技術とは問題解決のための手段だ。
だが日本では逆だ。
「制度を動かすために技術を利用する」という本末転倒 が起きる。
- なぜウォレットに公的IDが必要なのか
- なぜスマホが必須なのか
- なぜVPNで回避できるザル運用なのか
- なぜ本質的議論が行われないのか
理由は簡単だ。
これらの領域はすべて 前例で正当化されてしまうから。
■ 4. 国民不在のままテクノロジー統治が“無抵抗”に進む
国民は困っていない。
行政は面子を守りたい。
企業は利益を拡張したい。
この三点セットが揃うと、制度は“自動運転”になる。
そして国民は、制度変更のニュースを聞いても
「へぇ」と言ってスルーするだけだ。
■ 5. そして最終的に残るのは「誰も望んでいなかった制度」
タスポがそうだった。
マイナンバーがそうだった。
顔認証義務化がそうだった。
今回のミズーリ州のウォレットID義務もそうだ。
未成年者保護という“薄っぺらい社会正義”を皮膜に、
制度だけが肥大化し、
誰も望んでいない統治モデルが徐々に完成していく。
第6章|VPNという静かな抵抗:国民が制度を“相手にしない”現実
イギリスの年齢確認法案が動いたとき、
VPN契約者数が急増した。
ProtonVPNの統計が示すとおり、
国民は制度を拒否したのではない。
ただ、制度を“相手にしなかった” のだ。
これは重要な現象だ。
制度が厳格化すればするほど、
技術的な抜け道は豊富になる。
- VPN
- プロキシ
- DNS回避
- 海外サーバー経由
- 非公式アプリ
そして国民は、声を上げる代わりに静かに“抜ける”。
行政は制度を作る。
だが国民は制度を使わない。
企業は国民の行動データを握る。
その裏側で、テクノロジーは制度をいとも簡単にすり抜ける。
ここに、この問題の本質的なねじれがある。
■ 1. 国民は制度に従わないが、制度にも反抗しない
声は上げない。
抗議も起こさない。
だが素直に従うわけでもない。
“制度は制度、生活は生活”
この静かな分離が、制度の空洞化を加速させる。
■ 2. 行政は「運用されている」と言い張る
実際はVPNひとつで無力化される制度でも、
行政は数値と報告書だけを見て「成功」と判断する。
実態が空っぽでも、形だけは成立する。
■ 3. 企業は抜け道すらビジネスに変える
VPN社は契約数を伸ばし、
OSメーカーはID統合で利権を得る。
制度が厳格化するほど、回避ビジネスが潤う。
■ 4. そして本来守るべき未成年者は、置き去りにされる
制度はザル。
運用は形だけ。
企業は利益追求。
行政は自己保身。
親は責任を押し付けられる。
一体誰が、未成年者を守っているのか?
制度は厳しくなっているはずなのに、
当事者保護という本来目的はどんどん薄れていく。
結局、社会全体が“都合のいい部分だけ”制度に乗り、
不都合な部分には静かに背を向ける。
その沈黙と無関心こそが、
次の終章につながる“最大の因子”だ。
第7章(終章)|未成年者保護の欺瞞を終わらせる鍵は、国民の無関心を捨てること
制度は増え続ける。
技術は監視と紐づけの方向へ進む。
行政は体裁を守り、企業は利権を拡大し、
家庭だけが責任を押し付けられ続ける。
この構図はなぜ止まらないのか。
その答えは、実はとても静かで、そして残酷だ。
国民が関心を持っていないからだ。
“未成年者保護”という大義が掲げられた瞬間、
人々はその裏側を見ようとしなくなる。
- 本当に必要なのか
- 誰が得をしているのか
- 何の前例になるのか
- その先に何が起きるのか
こうした問いが、社会からすっと姿を消す。
向こう側が透けて見えそうな薄っぺらい社会正義 でも、
「まあ仕方ないか」で受け入れてしまう。
その一瞬の諦念が、制度を暴走させる最大の油だ。
日本社会には、
“御上のお達しに逆らわない”という文化的DNAがある。
- 面倒なことには関わらない
- 行政のやることだからとりあえず従う
- 反対しても変わらない
- 生活に直接影響しなければ気にしない
この沈黙と無関心が、
制度の挙動を 「誰も止めない構造」 へ変えてしまう。
タスポがそうだった。
マイナンバーがそうだった。
そして今回のデジタルID年齢確認もそうだ。
国民が声を上げるべきはここだったのに、
声は上がらなかった。
国民が力を持たないのではない。
国民が「使わなかった」だけだ。
そして、この沈黙は次世代にそのまま引き継がれていく。
制度の肥大化も、統治モデルの硬直化も、
すべて“誰も気に留めなかった”という消極的な選択の結果だ。
ここで必要なのは、行政批判でも、企業陰謀論でもない。
必要なのは、
国民のDNAレベルに刻まれた“無関心”の組み換えである。
「別に困っていない」
「まあいいんじゃない」
「どうせ変わらない」
これらの言葉こそが、次の愚行を生む温床だ。
未成年者保護の欺瞞を解体できるのは、
制度を作る側ではない。
企業でもない。
行政でもない。
無関心をやめた国民だけが、この構造を終わらせられる。
静かに、だが決定的な“意思”を持つ国民だけが。
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