工場で働くAIヒューマノイド Figure が世界を驚かせていたのは、もはやほんの数か月前の話にすぎない。
しかし2025年末、人類はさらに静かな、しかし構造的にはもっと大きな転換点に差しかかっている。
── 家庭 に、AIヒューマノイドが入って来ようとしているのだ。
1X Technologies が公開した NEO は、もはや「研究用ロボット」でも「試験的プロトタイプ」でもない。
動画を見れば分かる。最初から“生活空間に溶け込む存在”として設計されている。
無機質な工場ラインに立つ Figure が“AI労働者”だとすれば、
NEO は “AI執事”──あるいは “頼れる住み込みAIパートナー” という表現がふさわしい。
産業から「生活」へ — 人類が線を越えた日
Figure が「人間の代わりに働くロボット」だとすれば、
1X NEO は「人間と共に暮らすロボット」である。
両者の間には、技術の差ではなく前提世界そのものの境界がある。
工場は「安全が担保された世界」
家庭は「絶対に事故があってはならない世界」
ここを越えた瞬間、人類は「AIと共に暮らす覚悟」を社会システムとして問われ始める。
──たとえまだほとんどの人がそれに気付いていなくても。
この変化を「動画だけで判断してはならない」
NEOの動画は、確かに“未来広告”としてよくできている。
だが問題の本質は「動作の滑らかさ」や「音声応答のナチュラルさ」にはない。
“AIが常時そこに立っている”という空気を、生活者は受け入れられるのか?
それは技術ではなく、社会的・心理的・倫理的“許容性”に関わる問いだ。
そして、実は 1X も Figure も、すでにその段階に踏み込む覚悟を露骨に示し始めている。
歴史の大半は「気づかれないまま変わる」
世界は大騒ぎにはならない。
NEO が発売されても、Figure が次のモデルを工場に投入しても。
なぜなら──
歴史の本当の転換点は、決して“事件”としては現れないからだ。
家庭用AIヒューマノイドの第1世代は、
間違いなく“日常の中に溶け込む”という形でやって来る。
その瞬間、人類の「当たり前」は音もなく更新される。
そして──慌てる必要はない
もちろん、明日いきなり家にロボットが届くわけではない。
価格もまだ現実的ではないし、法制度も追いついていない。
だからこそ今は、“備えなくてはならない段階”ではなく、“気づいておくべき段階”。
それだけで十分だ。
むしろ──
「いつの間にか始まっていた」ことに、後から気づける人間であるかどうか。
その差が、これからの10年で静かに効いてくる。

