AI時代の“アナログ日本病”──データを持ちながら使えない国のゆくえ

AI時代の“アナログ日本病”──データを持ちながら使えない国のゆくえ ビジネス

AIはすでに世界を理解できるほど賢くなった──だが、日本の企業文化が作り出す「デジタル紙束」だけは、いまだ読めない。

FedExがAIで動く日、日本はFAXを送る

米国の物流大手 FedEx は、1日あたり1,600万件以上の荷物を処理している(同社公式データ)。
その膨大なトランザクションは、センサー・スキャナ・トラッキング端末によってリアルタイムに収集され、AIによるルート最適化や需要予測、車両配備の自動制御に活用されている。

言い換えれば、FedEx にとって「データ」は副産物ではなく、物流そのものを駆動する燃料だ。
毎日ペタバイト級のデータが生成され、それが次の判断を導く「自己学習する企業構造」として循環している。

一方で、日本企業の多くはいまだに PDF と Excel の壁の中で「報告書の山」を築いている。
AIが世界を動かす時代に、私たちはいまだ「人間の確認印」で業務を完結させている。
この落差は、技術格差ではなく構造格差である。


デジタル化とデータ化を混同してきた国

日本企業は長らく、「紙をPDF化した」「Excelで管理している」ことをもって“デジタル化”と呼んできた。
だが、AIが理解できるのは構造化されたデータであり、スキャンPDFはただの「電子的な紙束」に過ぎない。

たとえば製造業では、検査報告書、保守履歴、作業日報などが部門ごとにバラバラの形式で保管されている。
ファイル名にも統一ルールがなく、同じ部品でも呼称が数種類存在する。
つまり、データはあるのに検索も連携もできない状態だ。

海外企業が“AIに読み込ませるデータ”を整えているのに対し、
日本企業は“AIが読めないデータ”を量産している。
この違いが、数年後に取り返しのつかない溝を生む。


暗黙知が支配する「属人データ構造」

日本の現場には、“人の勘と経験”を尊ぶ文化がある。
それ自体は誇るべき職人精神だが、データ活用の観点では致命的な弱点になる。

  • ベテランが判断を口頭で伝える
  • 記録は「報告義務」であって「分析素材」ではない
  • 部門間で共有する習慣がない

その結果、情報がデータベースではなく、人間の頭の中に閉じ込められる。
AIを導入しようとしても、入力するデータが欠落しているため、学習モデルが育たない。
つまり、AIを使えないのではなく、“AIに教えられない”組織構造なのだ。

FedExが毎秒数万件のデータをAIに渡して学ばせているのに対し、
日本企業のAIは「昨日の報告書」を読むことすらままならない。


AI導入以前の「データ工学」が存在しない

多くの企業が「AI戦略室」や「DX推進部」を設立しているが、
肝心のデータエンジニアリング層が欠けている。
AIは“データを読む”が、“文書を読む”わけではない。
データが整備されていない企業にAIを導入しても、
それは「錆びたエンジンにハイオクを注ぐ」ようなものだ。

欧米企業では、AIチームの前にデータエンジニアチームが存在する。
彼らはデータを正規化し、タグを付け、欠損値を埋め、
AIが「意味として解釈できる形」に整える。
つまりAIとは、整備されたデータ基盤の上で初めて動くエンジンなのだ。

日本では、RAG(Retrieval-Augmented Generation)や生成AIによって
“AIでデータを検索させる”発想が先行しているが、
そもそもRAGに与える“正しい文脈”すら整っていない。


失われた10年を取り戻す鍵は「正確な記録文化」

皮肉にも、日本企業は世界でも類を見ない「記録好き」な国民性を持っている。
帳票、手順書、点検表──その几帳面さは、整形されさえすれば最高の教師データになりうる。

つまり日本企業が目指すべきは、「最速のAI導入」ではなく、
“最も信頼できるデータ文化”の再構築である。

AI時代における競争力は、モデルの性能ではなく、
そのモデルに教えるデータの“信頼度”に依存する。
「AIの時代」とは、「データの倫理と構造を問う時代」でもあるのだ。


AIを導入する前に、“AIに教えられる企業”へ

AIを“使う”企業と、“AIに教えられる”企業。
この違いが、5年後の産業構造を決定づける。

FedExは、自社データを自社AIの血肉として還流させる“循環型企業”だ。
一方、日本企業の多くは、データを倉庫に眠らせたまま、
AIに「賢くなれ」と願うだけの“祈祷型企業”に留まっている。

AIは魔法ではない。
整えられたデータという「教材」がなければ、何も学ばない。
そして、その教材を整えるのはシステムではなく、
企業文化そのものである。