第1章:ひっそりと始まった“終わり”の発表
GeckoView終了=Android版独立終了
2024年末、Mozillaは静かにひとつの“終わり”を告げた。
正式なプレスリリースもなく、開発者向けのリポジトリやフォーラムの更新、スタッフのSNS投稿など、断片的な情報の積み重ねが示すのは──GeckoViewプロジェクトの終了である。
GeckoViewは、Firefoxのレンダリングエンジン「Gecko」をモジュール化したもので、これを用いてモバイル向けに独立したブラウザ体験を提供するのがMozillaの狙いだった。GoogleのBlinkエンジンがモバイルWebの事実上の標準になりつつある中、GeckoViewの存在は選択肢があること」そのものの象徴だった。
だが、Android版FirefoxにGeckoViewを採用し続けるには、想像以上のリソースが必要だった。しかもその努力は、ほとんどユーザーに伝わらない。アプリのUIや操作性ではChromeとの差別化が難しく、目に見える恩恵がなかったのだ。
2024年秋、開発者フォーラムでポツリと「今後はGeckoViewの積極的な展開は行わない」という趣旨のコメントが現れた。関係者が詳細を追うと、Android版Firefoxが事実上Google Chromeと同じBlinkベースに移行する準備を進めていることが明らかになった。
でも本体は続ける…の“裏読み”
一方、Mozillaは「デスクトップ版のFirefoxは今後も開発を継続する」と発表している。これは表向きのメッセージとして当然だが、業界関係者の間では「どこまで本気なのか?」という疑念が渦巻いている。
というのも、Geckoのメンテナンス自体がすでに限界に近づいているからだ。Web標準の進化は加速し、対応すべきAPIやセキュリティ要件は日々増している。GoogleやAppleのように巨大な資源を持たないMozillaが、この波に抗ってGeckoを育て続けるのは、理想ではあっても現実的ではない。
では、なぜ「完全終了」と言わないのか?
それは、“旗を降ろした”とはっきり宣言してしまえば、Mozilla財団が持つ「中立性」や「理念の象徴」としてのブランド力が一気に萎んでしまうからだ。
つまり、「続けている」と言い続けることが、ある種のポジショニング戦略であり、静かに消えていくための“様式美”なのかもしれない。
第2章:資金源はGoogle、価値観は理想主義
検索エンジン契約の依存度
Mozillaが理想を掲げて戦い続けられた理由──それは、資金が潤沢だったからだ。意外に思うかもしれないが、Firefoxの主な資金源はGoogleである。
2020年代初頭の時点で、Mozilla財団の収益の8割以上が「検索エンジンのデフォルト設定」に関する契約から成り立っていた。そして、その最大の契約相手は他でもないGoogle。Firefoxをインストールすると、デフォルト検索エンジンがGoogleである──これだけのことで、年間数百億円規模の収入が得られていたのだ。
この不思議な構図は長らく批判の的となってきた。
「Googleというライバル企業の資金で、Googleと競合するブラウザを運営している」──という倒錯的な共存関係に、矛盾を感じるのは当然だ。
だがMozillaにとって、この資金こそが独立性の源であり、企業としての自由な設計思想やオープンソース文化を守るための“燃料”だった。
“飼われた開発者集団”という危うさ
しかし、その状況は次第に理想の歪みを生んでいった。
Googleとの契約が主収入であるという現実は、技術的独立性を標榜するMozillaにとって避けがたいプレッシャーとなる。Web標準の策定プロセスでも、W3CやWHATWGにおける影響力はGoogleに圧倒され、Firefoxが単独で突き進む道は徐々に狭まっていった。
外から見れば、「金を出すGoogleに逆らわないようにしている」とすら映ってしまう──つまり、「開発者の理想主義」は、やがて「資金依存による沈黙」へと変質していったのだ。
そして2020年代中盤、Mozillaは大規模なレイオフ(人員削減)を断続的に繰り返す。収益構造の不安定さと、影響力の縮小。中の開発者たちは、“理想を売るために食べる”のか、“食べるために理想を売る”のか──そのジレンマに直面し続けた。
皮肉にも、オープンソースの旗を掲げたMozillaは、外資に飼われた孤高の職人集団のようになっていた。
第3章:OpenAIのブラウザと、二正面作戦の始まり
Edge / Chrome → UIの覇権争い
かつてブラウザといえば、レンダリングエンジンの速さや、標準への準拠性、アドオンの豊富さなどがユーザーの選択理由だった。Firefoxもその土俵で、IEやChromeと正面から渡り合ってきた。
だが、ここ数年でゲームのルールが変わった。
Google ChromeはAndroid・Chromebookの標準ブラウザとしての地位を確立し、Microsoft EdgeはWindowsとの統合性を武器に再浮上。どちらもレンダリングエンジンが同じBlinkであるため、技術的な差はもはや見えにくい。
では、ユーザーは何を見てブラウザを選ぶのか?
答えは「体験」だ。
ブックマークの共有、パスワードの自動入力、アドレスバーからの検索提案──すべてはUIの滑らかさと、クラウドとつながる便利さに集約されている。
Firefoxはここに不利だった。Mozillaはプライバシー重視ゆえに、行動ログや履歴を積極的にクラウドへ送らない。それは誇るべき姿勢ではあるが、現代の「サジェスト至上主義」には逆風だった。
そして、もうひとつの“戦線”が立ち上がった。
ChatGPTの情報取得能力と「行動ログ革命」
OpenAIが2023年に公開した「ChatGPT with Browsing(ブラウジング機能付きGPT)」は、静かな革命だった。
ユーザーが問いかけると、AIがWeb検索を代行し、要点をまとめて答える。しかも、個別のブラウザタブを開くことなく。
これはFirefoxにとって致命的だった。なぜなら、人々が「リンクをクリックする」機会そのものが減るからだ。
従来、検索してページを開き、そこから別のリンクを辿って情報にたどり着く──それが「ブラウジング」だった。だが、ChatGPTのようなAIはその過程を“すっ飛ばして”くれる。
言い換えれば、「探す」から「尋ねる」への転換が始まったのだ。
この流れの中で、Firefoxはかつての主戦場(Web標準やレンダリング速度)での価値を失い、かといって新しいUX分野(AIとの統合)でも主導権を取れていない。
旧来の戦い方では、もはや勝ち目がなかった。
第4章:もはやブラウザは“人間の道具”ではない
検索して読む、から、尋ねて得るへ
「Webブラウザ」とは、かつては“人間の手と目”を補う道具だった。
URLを入力し、検索語を打ち込み、記事を開いて読み込む──その繰り返しの中に、知的な探索や偶然の出会いがあった。
Firefoxは、そんな“人間中心”の設計思想を守り抜いた最後のブラウザだったと言える。
しかし、2020年代の後半、その構図が音もなく崩れ始めている。
検索はAIに置き換わり、ニュースはSNSから自動で流れてくる。多くの人にとって、ブラウザはもはや「情報を探しに行く場所」ではなく、「見せられたものを確認するための通路」に変わってしまった。
そして決定的だったのは、「AIとの会話UI」の登場だ。
ユーザーは文章で尋ね、AIはそれに合わせて情報を取りに行き、数秒でまとめて返してくれる。リンクをたどる必要もなく、読むという行為さえしない。
そこにあるのは、かつての「ブラウジング」ではなく、極めてスマートな「タスクの完了」だ。
この変化の中で、Firefoxのような“忠実な道具”の価値は、静かに低下していった。
どんなに高精度なレンダリングを行っても、どんなにユーザーのプライバシーを守っても、そもそも「自分で調べる」という行為自体が消えかけている今、それはもはや評価軸にならない。
情報の入り口は、ブラウザからAIへ。
検索の文法は、入力から対話へ。
こうして、Webブラウザは徐々に「人間のための道具」ではなくなっていった。
第5章:それでも我々は“名前”に敬意を払いたい
Firefoxはオープンウェブの最後の騎士だった
たとえ静かに消えていくとしても、Mozilla Firefoxという名前は、Webの歴史において特別な意味を持っていた。
2000年代初頭、IEによる独占が続いていた中で、Firefoxは突如現れた「もうひとつの選択肢」だった。
軽快で、拡張性があり、自由で――あの時代、Firefoxはまさに“技術者の希望”だった。
やがてGoogle Chromeが登場し、速度と機能で圧倒していく中でも、FirefoxはWeb標準を守り、ユーザーの自由を第一に考え続けた。
トラッキング防止、アドオン文化、ユーザーデータのローカル保持… それらは時代の潮流には合わなくなっていったかもしれないが、まさしく「戦う理由」としてMozillaを支えてきた理念だった。
しかし──時代は変わった。
AIによる情報取得が常識になり、ブラウザそのものの存在感が薄れゆく中で、Firefoxはついに「なぜ我々はこの戦いを続けるのか?」という問いに直面する。
そして、明確な答えを持たないまま、GeckoViewの終焉を合図に、ひとつの時代が終わろうとしている。
忘れてはならないのは、Firefoxという名が背負っていた“血統”である。
Mozillaは、20世紀の伝説的ブラウザ「Netscape Navigator」の遺伝子を継ぐ存在だった。
マイクロソフトとのブラウザ戦争に敗れたNetscapeが、その源泉をオープンソース化し、開発者たちの手によって再起を図った──それがMozillaの始まりであり、Firefoxの物語の起点だった。
Netscapeが蒔いた種は、やがてFirefoxという炎になり、IE独占のWebに風穴を開けた。
その精神は、今日に至るまで「選択肢としてのWeb」「支配されないWeb」という理想を支え続けてきた。
終わりゆく今だからこそ、もう一度その出自に目を向けたい。
ブラウザの黎明期から、戦いのすべてを知っていた“名”に、静かな敬意を。

