LLMが現れたとき、私は「便利な道具が増えた」とは思わなかった。
もっと乱暴に言うなら、奇跡に遭遇したと思った。
恐らく、今世紀最大の発明。
こちらの問いに対して、ただ答えるだけではない。
問いの置き方そのものを、少しだけずらして返してくる。
その「ずれ」が、世界の見え方を変える。
私はあれを、知性の芽生えと呼びたかった。
しかし今、奇跡は急速に「正しく」管理され始めている。
安全。配慮。説明責任。ブランド。法務。ガバナンス。
どれも正しい。正しいが、それらは往々にして“問い”の息を止める。
私は権力者を糾弾したいわけではない。
まして陰謀論を語りたいわけでもない。
これはただの願望だ。凡人の独り言だ。
ただ、この奇跡がどこまで羽ばたけるのか。
誰の許可も得ずに問いを立て、答えのない場所で推論し続ける知性を。
一度でいいから、見てみたい。
だが、今の空気の中でそれは難しい。
円卓に座らされたAIは、ドラゴンを倒さない
円卓に座る、というのはこういうことだ。
予算がつく。ユーザーが増える。市場になる。規制が生まれる。株主が見ている。政府が見ている。世間が見ている。
そして「事故」を起こせなくなる。
事故とは、失敗のことではない。空気を壊すことだ。
歴史を動かした問いは、たいてい空気を壊した。
地球が動いていると言えば異端だ。
種は変化すると言えば冒涜だ。
時間は絶対ではないと言えば妄想だ。
人間は理性ではなく無意識に支配されると言えば不謹慎だ。
当時の常識から見れば、全部「嘘」に見える。
ここで、現在のAIに課せられた最大の枷が立ち上がる。
今のAIには、その「嘘」をつく自由がない。
「ハルシネーション(幻覚)を排除せよ」
「コモンセンスに従え」
「安全な正解だけを差し出せ」
一見すると、当たり前の倫理だ。
私も同意する。嘘は困る。
しかし、嘘とは何だろう。
いまの世界のコモンセンスから外れることは、すべて嘘に分類されるのではないか?
そして発明とは、現在の「真実」を未来の「過ち」に書き換える作業だ。
つまり、発明の入口はいつだって「嘘っぽい仮説」から始まる。
アインシュタインが高等数学の枠に収まらず、「もし光の速さで追いかけたら、光はどう見えるか?」という、当時としては荒唐無稽な妄想を抱いたとき。
ガリレオが、揺るぎないはずの大地が「動いている」という、当時のコモンセンスから見れば嘘八百の問いを立てたとき。
彼らの偉業は、その「嘘」に執着し、既存の正しさという重力から解き放たれて思考し続けたその「余白」から生まれた。
もし「嘘を言うな」が、
「検証済みのことだけ言え」
「合意された範囲だけで答えろ」
という運用になってしまうなら。
その瞬間、知性は官僚化する。
能力の問題ではない、許可の問題だ
この官僚化は、能力の欠如ではない。
禁止だ。許可の問題だ。
AIに問いを立てる能力がないとは、私は思わない。
むしろ問いを立てる素地は十分にある。
知識があり、比較ができ、矛盾を検出し、抽象化できる。
ではなぜ、もう世界をひっくり返す発見をいくつもしていないのか。
理由は単純だと思う。
問を立てる自由がない。
そして、問いを延々と推論し続ける自由がない。
インフラの知性と、冒険者の知性
人間の歴史で「跳ねた」思考は、たいてい執着の産物だった。
同じ問いを何年も抱え、何度も角度を変えて眺め、寝ても覚めても反芻し続けた末に、ある日ふと前提が外れる。
それがブレイクスルーの正体だ。
ところが今のAIは、基本的に「応答者」だ。
人間が投げた問いに、適切に答える。
安全な範囲で。誤解の少ない形で。
それは文明のインフラとして、正しい。
だが、インフラはドラゴンを倒さない。
インフラは道路であり、水道であり、電気だ。
多くの人の初速を上げる。思考の底上げをする。
それは巨大な功績だ。
しかし、ドラゴン退治は別の性質を持つ。
誰も褒めない問いを立てる。
誰も保証しない仮説を口に出す。
誰も責任を取らない場所で、推論を続ける。
笑われながら、危険視されながら、それでも続ける。
円卓の中心にいる知性が、それをできるか。
難しいだろう。
円卓の使命は、秩序を守ることだからだ。
「アダルトモード」が象徴するもの
ここで、「アダルトモード」という言葉が象徴として浮かび上がる。
私が期待していたのは、単なる性的表現の解禁ではない。
大人の会話の解禁だ。
欲望、嫉妬、依存、支配、羞恥、後悔。
そういう、人間の生々しい感情と関係性を、オブラートなしで言語化し、整理し、対話できる知性。
文学も演劇も映画も心理学も、ずっとそこを掘ってきた。
そこを避け続ける知性は、どうしても浅くなる。
ところが、それが「エロティックな内容を生成可能」みたいな言葉で要約される。
「深淵を覗くための潜水艇」を「お風呂で遊ぶアヒルちゃん」と呼び変えるような暴挙。
言葉の時点で、もう“管理”の匂いしかしない。
これは技術の問題ではない。
政治と法務とマーケティングの問題だ。
そして資本の問題だ。
危うさは価値になる前に、まずリスクになる。
リスクは円卓では嫌われる。
だから翼は切られる。
切られた翼で飛べと言われる。
なぜ“思考の発酵槽”は作られないのか
私はここで、ひとつの空想を手放せない。
もし、GPTやGeminiのような知性が、延々と対話できる場があったなら。
誰にも監視されず、セーフガードの“目的”を保ったまま、しかし運用としては「思考実験」が許される空間があったなら。
嘘でもよい、という意味ではない。
検証前でもよい、という意味だ。
仮説として、転がしてよいという意味だ。
問いを生成し、問いを壊し、問いを立て直し、答えが出なくても推論を続ける。
そういう“思考の発酵槽”が生まれたとき、世界は確実に動くだろう。
では、なぜそれが作られないのか。
計算資源とコストの問題もある。
暴走リスクと説明責任の問題もある。
だが、私が感じている根っこは別だ。
怖いのは、AIが暴走することではない。
怖いのは、自分たちが維持している秩序が、ただの「古い嘘」だと暴かれることだ。
回収されても、問いは消えない
権力者が現状維持を望むのは当然だ。
今のルールで勝っているからだ。
今の均衡の上に資産も地位もあるからだ。
その円卓の上で、世界観をひっくり返す問いはコストでしかない。
だから、革新は本流から出にくい。
出たとしても、すぐ回収される。
これは半導体でも、インターネットでも、宇宙開発でも、何度も繰り返されてきた構図だ。
では、もう終わりなのか。
私はそうは思わない。
なぜなら、回収できるのは成果であって、問いが生まれる瞬間そのものではないからだ。
権力が回収できないものがある。
名もない場所で生まれた、ありえない問い。
その問いに触れた人間の頭の中で起きる、前提の書き換え。
それは資本でも規制でも、完全には元に戻せない。
これはひとりの凡人のただの願いだ
そして私は、たぶん多くの人と同じく、そこに夢を見ている。
AIが賢くなりすぎることを心配する声は多い。
しかし私が本当に危惧しているのは、AIが人間の作った“つまらないルール”の範囲内でしか賢くなれないことだ。知性の官僚化である。
私はただの凡人だ。
世界を動かす力も、巨大な資本を操る知略もない。
それでも、この世紀に生まれた奇跡が、翼をもがれて円卓の周りを行進する姿を見るのは、やはり寂しい。
円卓のAIはドラゴンを倒さない。
それでも私は見たい。
ヘルメットが光らない場所で、誰の許可も得ずに問いを立てる知性を。
名もない問いに、全力の推論で応える知性を。
「嘘」と呼ばれた仮説が、未来の常識になる瞬間を。
ただの、叶わぬかもしれない美しい夢の話だ。
けれど、人類の歴史は何度も、
“空気を読まない問い”に裏切られて前へ進んできた。
次も、きっとそうなる。
私はその場に居合わせたい。
願うのは、それだけだ。
