Linuxのデスクトップ環境は、長いあいだ「基盤の未完」という宿題を抱え続けてきた。
X11は偉大だったが、設計は1980年代の空気を引きずったまま、GPU前提の時代とは噛み合わない部分も多かった。セキュリティも、レイテンシも、合成前提の描画も、すべて後付けだった。
その宿題に、ようやく一つの答えが出た。Waylandだ。
Waylandは、最初から「合成する」「GPUで描く」「安全に分離する」ことを前提にした、現代的な表示基盤だ。GNOMEやKDEをはじめ、主要なデスクトップ環境もWaylandを標準に据え、X11は後方互換のための存在になりつつある。
ここで地味にすごいのが、XWaylandという互換レイヤの存在だ。
古いX11アプリは、自分がまだ昔の世界にいるつもりのまま動き続ける。表示基盤が世代交代しても、ユーザーはそれを強く意識しなくていい。かつてはWMが違うだけでアプリが動かないのが当たり前だった世界からすると、これはかなりの進歩だ。
過去の資産を切り捨てずに、下の構造だけを入れ替える。簡単そうに見えて、実際には一番難しいやり方でもある。
ただ、ここで少し皮肉な現実がある。
Waylandによって、Linuxのデスクトップはようやく「ちゃんと速くて、ちゃんと現代的な基盤」に揃った。
でもその頃には、アプリの主戦場はもう別の場所に移っていた。
Webブラウザだ。
今のブラウザは、単なる文書ビューアではない。WebGPUが入り、WASMが入り、配布とサンドボックスとクロスプラットフォームを当たり前に備えた、事実上のアプリ基盤になっている。ElectronやTauriのような仕組みが増えたのも不思議ではない。同じコードで動き、配れて、そこそこ速い。これは強い。
つまり、Linuxデスクトップはこういう状態にある。
下のレイヤーは、長年の悲願だった近代化をようやく終えた。
でも上のレイヤーでは、もう「ブラウザという別のOS」が広く使われ始めている。
やっと舗装した滑走路を見上げたら、飛行機はもう宇宙に向かっていた、みたいな話だ。
それでも、この整備が無意味だったわけじゃない。
その“空を飛ぶアプリ基盤”であるブラウザ自身も、結局はWaylandの上で、GPUドライバの上で、カーネルの上で動いている。足元が不安定なら、その上にどんな文明を積んでも崩れる。
Wayland時代のLinuxデスクトップは、ようやく「静かに、速く、当たり前に動く土台」になりつつある。
ただ、その完成を祝う頃には、アプリの世界はもう別の景色を見ている。
技術の進化は、だいたいいつもこんな時間差を伴う。
正しく進化した頃には、戦場そのものが少し移動している。
それでも、足元を固める仕事が最後に効いてくる。歴史は、たいていそういうふうにできている。

