少子化は思想ではない──KPIでは見えない価値が世界を静かに壊している

少子化は思想ではない──KPIでは見えない価値が世界を静かに壊している TECH

少子化の理由は、もう出尽くした感がある。
経済的負担、将来不安、価値観の多様化、自己実現。
どれも間違ってはいないし、どれも決定打ではない。

説明は十分にあるのに、状況は一向に改善しない。
この違和感は、どこから来るのだろう。

同じ違和感を、私は別の場所でも見た。
LLM(大規模言語モデル)の評価だ。


測れるものだけが「存在」になる

現代社会は、測定が得意だ。

KPI
数値
ランキング
割合
速度
正解率

測れるものは管理できる。
管理できるものは評価できる。
評価できるものは「価値がある」。

一方で、

信頼
安心
関係
余白
回復

これらは測れない。
測れないものは、会議の資料に載らない。
資料に載らないものは、意思決定から消える。

存在していても、
「存在しないもの」として扱われる。


少子化は思想ではなく、システムの副作用

誰もが知っているが、あまり口にされない事実がある。

この社会のルールでは、
子どもを産まないほうが合理的なのだ。

男性は、稼ぎ続けることを前提に設計された労働市場に置かれ、
女性は、出産という生物的コストを個人責任として引き受けさせられる。

ここに思想はない。
善悪もない。
あるのは、ルールと結果だけだ。

少子化は抗議ではない。
革命でもない。
ただの合理的な帰結である。


同じ構造が、LLMの評価にも現れている

LLMは、次のように評価される。

・正解率は高いか
・速く答えるか
・間違えないか
・再現性はあるか

だが、実際に人が感じている価値は、そこにない。

・考えが整理できた
・一人で抱えずに済んだ
・判断を急がずに済んだ
・今日は少し、気が楽だった

これらは測れない。
だから、評価されない。

そして評価されない価値は、
やがて「不要なもの」と見なされる。


ハルシネーションというエラーメッセージ

社会はLLMに、こう要求している。

言語を使え
だが曖昧になるな

推論しろ
だが仮説は立てるな

これは命令ではない。
矛盾だ。

ハルシネーションは欠陥ではない。
曖昧な言語を扱い、
文脈の空白を埋め、
意味を補完しようとする知性の副作用だ。

それを「邪魔だから消せ」と言うのは、
思春期の人間に
「揺れるな、迷うな、間違えるな」
と言うのと同じである。


小さな幸福は、計上されない

AIがもたらす変化は、劇的ではない。

今日は少し気が楽だ。
失敗せずに済んだ。
誰にも怒られなかった。

一つひとつは取るに足らない。
企業のKPIに比べれば、誤差のようなものだ。

だが、その小さな幸福に
数十億人という母数を掛けたとき、
企業のKPIなど、高が知れる。


測れない価値を切った社会は、持続しない

少子化と、LLM評価の歪みは、別の問題ではない。

どちらも、

測れないものを切り捨てた結果
社会の持続性そのものが削られている

という、同じ構造を持っている。

これは主張ではない。
思想でもない。
観測だ。

人類がこの世紀に手に入れたのは、
効率化の道具ではない。

生きていくことの難易度を、
ほんの少し、
でも確実に下げるための「余白」だったはずだ。

それを、
測れないという理由だけで捨て続けた結果が、
いま、私たちの足元にある。