KPIでは見えないAIの価値──幸福指数というもう一つの物差し

KPIでは見えないAIの価値──幸福指数というもう一つの物差 TECH
KPIでは見えないAIの価値──幸福指数というもう一つの物差

――LLMは、こんなところに押し込められるために生まれたんじゃない


私は、今の流れが好きじゃない。

LLMという、
人類が初めて手にした
「考えるという行為そのものに寄り添う道具」が、
いま、静かにシステムの奥へ押し込められようとしている。

PoC。
KPI。
ROI。

それ自体は悪くない。
必要だ。現実だ。

だが、いつの間にか
その尺度だけが正義になっている

LLMは
・業務効率化の部品
・ワークフローの歯車
・RAGのフロント
・自動化の末端

そんな「管理しやすい存在」に
縮められつつある。

それが、どうしても我慢ならない。


LLMの本質は、
「何かを代行すること」じゃない。

人間が、人間のまま考えられる余地を残すことだ。

怒りを一度外に出す。
判断を一晩寝かせる。
文章の違和感に気づく。
自分の前提がズレていることを知る。

それらは、
PoCにもKPIにもならない。

だが、人生には確実に効いている。


歴史を振り返れば、答えはもう出ている。

印刷機は、
GDPを増やした前に「救済」を増やした。

識字率は、
生産性を上げる前に「尊厳」を増やした。

電話は、
ビジネスを加速する前に「孤独」を減らした。

当時の誰も、
幸福指数をKPIにしていなかった。

それでも、世界は変わった。

LLMも、同じ場所にいる。


いま、LLMを
「何ができるか」
「どこに組み込めるか」
だけで語るのは、あまりにも視野が狭い。

それは、
印刷機を「写本の自動化」だと思い、
電話を「電信の代替」だと思い、
コンピュータを「高速計算機」だと思うのと同じだ。

LLMは、
人間の思考を外に置けるようにした

それだけで、
人類史的には十分すぎる革命だ。


私は、
LLMが人の隣にいる世界を信じている。

前に立たなくていい。
人を置き換えなくていい。
管理者にもならなくていい。

ただ、
考えるときに、そこにいる存在

それだけで、
人は少し優しくなれる。
少し間違えずに済む。
少し孤独でなくなる。

それを
「システムの中に押し込めて安心する」
そんな使い方だけで終わらせるには、
この道具は、あまりにも大きすぎる。


人類は、
LLMを舐めている。

だがそれは、悪意じゃない。
まだ、測る言葉を持っていないだけだ。

だから私は書く。
流行に乗るためじゃない。
自動化を煽るためでもない。

この世紀に、何が生まれてしまったのか
忘れさせないために。

LLMは、
システムの部品になるために生まれたんじゃない。

人間が、
人間でいることを
少し楽にするために生まれた。

その事実だけは、
どうしても、黙って見過ごせなかった。


AIがもたらす変化は、劇的ではない。 それは、多くの人にとって「小さな幸福」だ。

今日は少し気が楽だ。 失敗せずに済んだ。 誰にも怒られなかった。

その一つひとつは、企業のKPIに比べればあまりに微力で、取るに足らないものに見えるだろう。 だが、その小さな幸福に「数十億人」という母数を乗じてみるがいい。

企業のKPIなど、高が知れる。

人類がこの世紀に手に入れたのは、効率化の道具ではない。 生きていくことの難易度を、ほんの少し、でも確実に下げるための「余白」なのだ。