暗号は国家に勝てるのか?── Apple神話とBitLocker騒動が暴いた「法治国家の現実」

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暗号は国家に勝てるのか?── Apple神話とBitLocker騒動が暴いた「法治国家の現実」

暗号化は万能の盾ではない。
法治国家において、司法の決定は最終的な強制力を持つ。
それでも私たちは、暗号に「国家に勝てる力」を期待してこなかっただろうか。

BitLockerを巡る騒動と、Apple対FBI事件という“神話”を手がかりに、
暗号・司法・企業・そして読者自身の責任の所在を、あらためて問い直す。


暗号化をめぐる議論が起きるたび、人々は同じ言葉を口にする。
「裏切られた」「監視社会だ」「プライバシーが侵害された」。

最近話題になった MicrosoftBitLocker をめぐる報道も、例外ではない。
捜査当局が、令状に基づいて回復キーを取得できた――
それだけの話が、なぜここまで強い反発を招くのか。

Microsoft Reportedly Turned Over BitLocker Encryption Keys to the FBI
Microsoft claims it receives about 20 requests for BitLocker keys a year.

この反応には、技術的な誤解だけでなく、
法治国家という前提そのものへの認識のズレが混ざっている。


法的執行を、あなたは軽んじていないか?

まず、避けて通れない前提がある。

法治国家において、
司法の決定は最終的な強制力を持つ

  • 令状が出れば、身体は拘束される
  • 住居は捜索される
  • 所持品は押収される

これは100年前も今も変わらない。

暗号化は、その外側にある免罪符ではない。
数学が、法を上回った歴史は存在しない。

もし「国家権力が及ばない暗号」を前提に安心していたのなら、
それは暗号に期待しすぎていたのではなく、
法的執行の現実を軽んじていたと言うほかない。


それが嫌なら、選択肢は本当に無かったのか?

ここで多くの人は、こう反論する。

「選ばされた覚えはない」
「知らないうちにクラウドに鍵が置かれていた」

だが事実として、BitLockerは――

  • 回復キーを自分で管理できる
  • クラウドに保存しない設定も可能
  • ローカル保存、印刷、物理保管も選べる

さらに強くやるなら、

  • 自前で暗号化した上でクラウドに置く
  • 二重暗号にする
  • 完全オフラインで保持する

という選択肢もある。

つまり、
「守られなかった」のではない。
「選ばなかった」だけだ。

これは冷たい指摘に聞こえるかもしれない。
しかし、暗号は思想ではなく、運用だ。
運用には、必ず主体がいる。


BitLockerは「別件逮捕装置」ではない

ここで一つ、誤解を正しておく必要がある。

BitLockerは、
捜査を拡張するための道具ではない。

設計思想は一貫している。

  • PC紛失・盗難時の情報漏洩防止
  • オフライン攻撃への耐性
  • 企業端末を管理可能な形で守る

回復キーの存在は、最初から前提だ。
管理者が鍵を持つことも想定されている。

これは「裏口」ではない。
保険だ。

BitLockerの話を、
「国家権力による別件逮捕の促進」
と短絡するのは、議論として雑すぎる。


では、人々は何に怒っているのか?

怒りの正体は、意外と単純だ。

  • 国家に対する怒りではない
  • 技術的な裏切りでもない

「自分は特別扱いされると思っていた」
という幻想の崩壊
だ。

暗号化すれば、
自分だけは安全圏にいられる。
国家権力は他人事だ。

その前提が崩れた瞬間、人は「裏切られた」と感じる。


Apple対FBI事件は、英雄譚だったのか?

ここで必ず持ち出されるのが、
2016年の AppleFBI の対立だ。

「Appleは司法に逆らった」
「ユーザーのプライバシーを守った英雄だ」

だが、この理解は正確ではない。

Appleが拒否したのは、
司法判断そのものではない。

FBIが求めたのは、
既存のデータの提出ではなく、
新たに特別なiOSを作れという要求だった。

それは協力ではない。
能力の新規創出だ。

Appleはここで一線を引いた。

それは捜査協力ではなく、
国家のために「武器を製造せよ」という命令だ

この主張は、米国では
修正憲法第1条(言論の自由)違反
――すなわち「強制された表現(compelled speech)」
として争う余地があった。

重要なのはここだ。

Appleは
司法に勝ったわけでも、法を否定したわけでもない

司法が踏み込もうとした「手段」が、
法治国家の想定を超えていた。
それだけの話だ。


これはEUの「バックドア要求」と同じ構図だ

このApple事件は、
EUが近年主張している
「暗号化サービスへの恒常的バックドア要求」
と本質的に同じ構図を持つ。

  • 今回だけ
  • この1件だけ
  • 特別だから

そう言いながら、
将来も使える能力を組み込ませる

Appleが拒否したのは、
まさにこの一線だった。

BitLockerとは、戦場が違う。


成功した治安は、沈黙する

もし企業が捜査協力を一切拒めば、どうなるか。

  • 真実への到達は遅れる
  • 捜査費は膨張する
  • 処理事件数は減る
  • 税金は余計に溶ける
  • 治安は静かに悪化する

だが、これらはニュースにならない。

犯罪が防がれたことは可視化されない。
無駄遣いされなかった税金も見えない。

成功した治安は沈黙する。

だから議論は、
常に「侵害されたかもしれない権利」だけに偏る。


責任を、読者へ返す

本件をめぐる一部報道では、
報道機関の記者宅が捜索された別件のニュースと、
BitLockerの件を結びつける論調も見られた。

しかし両者は、捜査対象も手続きも技術的前提も異なる。
共通しているのは「FBI」という単語だけだ。

文脈を接続することで不安を喚起することは容易だが、
それは問題の解像度を上げることにはならない。

技術の問題は、技術として。
法の問題は、法として。
それぞれ切り分けて考える必要がある。


暗号は万能ではない。
国家も企業も、英雄ではない。

それでも不安なら、
その不安を引き受ける方法はある。

  • 鍵を自分で管理する
  • 運用を理解する
  • どこまで守り、どこから受け入れるかを決める

それを選ぶのは、
国家でも企業でもない。

あなた自身だ。

暗号は盾ではない。
考えることを放棄した人を、守ってはくれない。