半導体の話になると、
私たちは反射的にこう考えてしまう。
より速く。
より小さく。
より先端へ。
だが、国家や産業の現場で本当に問われているのは、
性能ではない。
それは、
「止められないか」
「奪われないか」
「代替できるか」
という、ずっと地味で、ずっと現実的な問いだ。
インドがRISC-Vを選び、
Canonicalと組み、
28nmという“最先端ではない”地点に立った理由は、
技術的ロマンでは説明できない。
そこにあるのは、
制裁、遮断、契約、IP、政治──
そうしたものに何度も振り回されてきた国だけが持つ、
冷え切った現実感覚だ。
この物語は、
CPUの話ではない。
OSの話でもない。
ましてやベンチマークの話ではない。
これは、
「詰まない未来をどう設計するか」
という、静かな国家戦略の記録である。
そして同時に、
Linux × RISC-V × JavaScript が
なぜ今になって“完成形”として立ち上がったのかを
読み解く試みでもある。
派手な革命は起きない。
勝者も叫ばれない。
ただ、
止まらない仕組みだけが残る。
その地味さこそが、
この構図の最大の強さだ。
序章|「共闘」は永続しない
──国家は、必ず制裁される側に回る
国際社会における「共闘」という言葉ほど、期限付きの概念はない。
それは理念ではなく、情勢に応じて組み替えられる配置にすぎない。
今日、インドは「民主主義陣営」の一員として語られる。
中国の台頭という脅威を前に、世界はインドを必要としている。
だがそれは、インドが“信頼された”からではない。
いま、都合がいい位置にいるからだ。
歴史を見れば、この構図は何度も繰り返されてきた。
ある国が脅威と見なされ、包囲網が敷かれ、
その隙間を埋める国が一時的に持ち上げられる。
しかし脅威が後退した瞬間、その国は次の「調整対象」になる。
制裁とは、例外的な罰ではない。
秩序を保つための常套手段だ。
そして制裁を行う側と受ける側は、固定されていない。
インドはそれを知っている。
自国のIT産業が、これまでどれほど他国の知的財産に依存し、
どれほど軽やかに境界を越えてきたかを、
彼ら自身が最もよく理解している。
IPへの敬意が欠けている──
そう評されることも多い。
だがそれは、道徳の問題ではない。
生き残るための行動様式だった。
もし、ある日突然、
CPUが止まり、
OSの更新が遮断され、
開発環境が失効し、
署名が無効化されたら──
国家システムはどうなるのか。
それは「不便」では済まない。
Game Over だ。
だからインドは、
「制裁されない未来」を夢想しない。
代わりに、
「制裁されても終わらない設計」を選ぶ。
この物語は、
性能の話ではない。
最新かどうかでもない。
これは、
国家が自分の電源スイッチを手放さないための設計思想の話である。
第1章|インドは“CPU強国”を目指していない
──目標は性能ではなく、復旧可能性
インドがRISC-Vに注目していると聞くと、
しばしば次のような誤解が生まれる。
――インドは、先端CPUで世界に追いつこうとしている。
――Armやx86に代わる「国産高性能CPU」を作りたいのだ。
だが、この見方は本質を外している。
インドが目指しているのは、
「速いCPUを作る国」ではない。
「止まっても、再び動かせる国」である。
国家システムにとって、
CPUは性能競争のための道具ではない。
行政、金融、医療、交通、防衛──
あらゆる基盤の最下層で、
長期間、黙々と動き続ける部品だ。
ここで重要になるのは、
ベンチマーク上の数値ではなく、
障害が起きたときに、誰が直せるかという一点である。
最先端CPUは、確かに高性能だ。
しかしその内部は、
ブラックボックスの塊でもある。
- マイクロアーキテクチャは非公開
- 実装はベンダー依存
- 設計ツールはライセンス制
- 不具合修正には外部の承認が必要
これは平時には問題にならない。
だが、制裁や政治的緊張が発生した瞬間、
「直せないCPU」は「使えないCPU」に変わる。
インドが避けたいのは、まさにこの状況だ。
RISC-Vを採用するという判断は、
「世界最速」を諦めた選択ではない。
「自分たちで理解できないものを、国家基盤に使わない」
という、極めて保守的な意思表示である。
ここで言う「保守的」とは、
古いという意味ではない。
責任の所在を明確にするという意味だ。
RISC-Vであれば、
命令セットは公開されている。
実装は選べる。
自国で作ることも、
他国に作らせることもできる。
性能が足りなければ、
改良すればいい。
止まったら、
自分で原因を追える。
国家システムにとって、
これ以上の安心はない。
インドが作ろうとしているのは、
“世界に誇るCPU”ではない。
「誰にも止められないCPU」だ。
第2章|RISC-Vは“技術”ではない
──契約から逃げるための設計思想
RISC-Vは、しばしばこう説明される。
オープンな命令セット。
ライセンスフリー。
誰でも実装できるCPUアーキテクチャ。
どれも事実だが、
それだけでは、この選択の重みは伝わらない。
インドがRISC-Vを選んだ理由は、
「安いから」でも
「自由だから」でもない。
契約に縛られないためだ。
現代のCPUは、
単なる半導体ではない。
それは、長期にわたって効力を持つ
契約の集合体でもある。
Armを使うということは、
Arm Ltd. との契約を結ぶことを意味する。
x86を使うということは、
IntelやAMDという特定企業の許諾のもとで
設計思想を借りるということだ。
これらの契約は、
通常は目に見えない。
だが、確実に存在する。
- 使用条件
- 実装範囲
- 再配布の可否
- 政治的判断による制限
平時には問題にならない。
むしろ、便利ですらある。
だが、制裁という非常事態において、
契約は突然、足枷に変わる。
更新できない。
修正できない。
最悪の場合、
使い続けること自体が違法になる。
RISC-Vは、この前提を根本から壊した。
命令セットそのものに、
契約が存在しない。
誰に許可を取る必要もない。
誰かが止めることもできない。
それは、
「自由」だからではない。
縛る主体が存在しないからだ。
ここが決定的に重要だ。
RISC-Vは、
性能で勝つための武器ではない。
市場を席巻するための旗でもない。
それは、
最悪の事態においても、国家が自分で立ち上がるための足場
として設計されている。
インドは、この性質を見抜いた。
いずれ来るかもしれない制裁に備え、
「止められない命令セット」を選ぶ。
それは、対立の意思表示ではない。
保険の加入だ。
契約に基づくCPUは、
契約が破れた瞬間に終わる。
だが、契約のないCPUは、
誰かの機嫌で止まることがない。
次章では、
この思想が実際にどのような設計へと落とし込まれるのか。
「制裁されても詰まない」という条件が、
何を意味しているのかを具体的に見ていく。
第3章|「制裁されても詰まない」設計
──セカンドソースという国家技術
制裁とは、
輸出禁止でも、関税でもない。
本当に効く制裁は、
「代替が存在しない」状態を作ることだ。
特定企業のIP。
特定ファウンドリの製造ライン。
特定EDAツールへの依存。
これらが一本でも折れれば、
国家規模のプロジェクトですら停止する。
だからインドは、
「速いCPU」ではなく、
「詰まないCPU」を選んだ。
セカンドソースが成立するという異常さ
RISC-Vの最大の特徴は、
セカンドソースが制度として成立する点にある。
同じ命令セットを、
- インド国内企業が設計し
- CanonicalがOSを整備し
- TSMCが製造し
- Intelが製造し
- 将来はインド国内ファウンドリが製造する
この並列構造が、最初から可能だ。
これはx86では成立しない。
Armでも成立しない。
なぜなら、
命令セットの「正統性」が
特定企業に帰属しているからだ。
RISC-Vには、それがない。
誰が作っても、
同じ命令を、同じ意味で実行できる。
誰かの承認を待つ必要もない。
これは技術的な話ではない。
制度の話だ。
IntelとTSMCが“敵にも味方にもなる”世界
ここで、奇妙な光景が浮かび上がる。
RISC-Vの世界では、
- Intelは
自社製CPUの競合になり得る
RISC-Vチップを製造する - TSMCも
特定国家向けRISC-V CPUを
何の政治的主張もせず製造する
彼らは、
命令セットの支配者ではないからだ。
作るのは「半導体」だけ。
思想も、主権も、
そこには含まれない。
この分離こそが重要だ。
命令セット(主権)
設計(国家・企業)
製造(ファウンドリ)
この三層が完全に分離されているため、
どこかが止まっても、
全体は止まらない。
制裁されても、
別の製造先がある。
別の設計がある。
別の供給路がある。
詰みが存在しない。
「IPへの敬意がない国」だからこそ分かる現実
インドは、
知的財産を神聖視する国ではない。
それは批判されがちだが、
裏を返せば、
IPが政治の道具になる現実をよく知っている
ということでもある。
- 奪われる
- 使えなくなる
- 契約を理由に止められる
その瞬間に、
国家プロジェクトは終わる。
だから、
最初からIPに依存しない。
RISC-Vは、
インドにとって理想的だった。
誰にも奪われない。
誰にも止められない。
誰の顔色も見なくていい。
CPUはもう「兵器」ではない
ここまで来ると、
CPUはもはや性能競争の道具ではない。
それは、
外交リスクを最小化するためのインフラだ。
速さではなく、
継続性。
最先端ではなく、
持続可能性。
インドが選んだのは、
覇権ではない。
生存戦略だ。
次章では、
このRISC-V戦略が
なぜ「Linux」と結びつくことで
初めて完成するのか。
そして、
OSすら前景から消えていく
その未来像を描いていく。
第4章|OSが消え、JavaScriptだけが残る
──Linux × RISC-Vが完成させる静かな支配
RISC-Vの本質は、
CPUを自由にしたことではない。
OSを脇役に追いやったことだ。
Canonicalが見ているのは「Linuxの勝利」ではない
Ubuntu(Canonical)は、
RISC-Vを「新しいCPU」として扱っていない。
彼らが見ているのは、
実行環境の統一だ。
RISC-V向けUbuntuは、
- デスクトップの覇権を狙わない
- UIで競わない
- OSの存在を主張しない
ただ一つの役割に徹している。
「アプリが動く最低限の地面になる」
それだけだ。
すでにOSは“直接触るもの”ではない
現代のアプリケーションは、
すでにOSを見ていない。
- Webアプリ
- Electron
- WebView
- WASM
- Node.js
- Deno
これらが見ているのは、
- CPU命令セットでも
- OSカーネルでもなく
JavaScriptの実行環境だけだ。
極論すれば、
- LinuxがUbuntuである必要もない
- カーネルのバージョンも重要ではない
- systemdかどうかすら、どうでもいい
重要なのは、
JavaScriptが確実に動くこと。
「アプリ=OS」という逆転
かつては、
ハードウェア
→ OS
→ アプリ
という階層だった。
今は逆だ。
アプリ(JavaScript)
→ ランタイム
→ Linux(不可視)
→ CPU(RISC-V)
OSは、
もはや主役ではない。
Linuxは勝ったが、
姿を消した。
これが、
Linux最大の勝利だ。
RISC-VがJSと相性が良すぎる理由
ここで、
RISC-VとJavaScriptの相性が浮かび上がる。
- RISC-Vは命令が単純
- JITやWASMの最適化がしやすい
- 実装差異が少ない
- エミュレーションや再コンパイルが容易
つまり、
「どのRISC-Vでも、ほぼ同じJSが動く」
という世界が成立する。
これはArmでもx86でも、
微妙に成立しない。
拡張命令。
ベンダー依存。
世代差。
RISC-Vは、
それをすべて削ぎ落とした。
国家OSではなく、国家ランタイム
インドが狙っているのは、
「国産OS」ではない。
そんなものは、
誰も使わない。
彼らが欲しいのは、
- 国産CPU(RISC-V)
- 国産ビルド環境
- 国産ランタイム
- 国産アプリ基盤
そして、その上で、
- 世界共通のJavaScript
- 世界共通のWeb技術
を動かすこと。
OSは、
単なる部品だ。
WindowsもmacOSも、すでに同じ方向を向いている
これは反米でも、
反Appleでもない。
現実として、
- WindowsはWSLでLinuxを抱え
- macOSはUNIXの皮を被り
- アプリはすべてWeb化している
彼ら自身が、
OS中心主義を捨てている。
RISC-V × Linux × JavaScriptは、
この流れを
最初から前提にしているだけだ。
静かな支配は、音を立てない
インドは、
覇権を叫ばない。
性能を誇示しない。
最先端を名乗らない。
ただ、
- 止まらない
- 奪われない
- 代替できる
この条件を満たした
計算基盤を積み上げている。
次章では、
この構図が
「誰にとって一番脅威なのか」を描く。
それは国家ではなく、
企業でもなく、
意外な場所にいる。
第5章|最も脅かされるのは「OS企業」ではない
──価値の源泉が溶けていく場所
この構図を前にして、
多くの人はこう考える。
「Microsoftが困るのでは?」
「Appleは影響を受けるのでは?」
違う。
彼らは、もう逃げ道を確保している。
本当に揺らぐのは、
OSでもCPUでもないところだ。
消えていくのは「囲い込みの根拠」
RISC-V × Linux × JavaScript が壊すのは、
製品ではない。
囲い込みの理由だ。
- 特定CPUでなければ動かない
- 特定OSでなければ開発できない
- 特定SDKがなければ配布できない
こうした「理由」が、
静かに消えていく。
JavaScriptアプリは、
どこでも動く。
RISC-Vは、
誰でも作れる。
Linuxは、
誰のものでもない。
囲い込もうとした瞬間、
別の道が生まれる。
一番困るのは「中間で食っていた層」
影響を受けるのは、
- OSベンダー
- CPUベンダー
ではない。
最も厳しい立場に置かれるのは、
- 独自SDKで縛ってきた企業
- 特定APIへの依存で商売してきた層
- 「この環境でしか動かない」を価値にしてきた人たち
だ。
彼らの価値は、
「動かせる場所を限定できること」
にあった。
だが、
動く場所が無限になった瞬間、
その価値はゼロになる。
「性能で殴れない」世界の到来
RISC-Vは、
ベンチマークで殴らない。
Linuxは、
UIで競わない。
JavaScriptは、
実装差を吸収する。
つまり、
マウントが取れない。
これは、
技術的に優れている以上に
文化的に恐ろしい。
優位性を語れない。
上下を決められない。
「勝っている」と言えない。
国家にとっては、これ以上ない安全地帯
この「曖昧さ」は、
国家にとっては理想だ。
- 特定企業に依存しない
- 特定国に依存しない
- 技術更新のたびに政治判断をしなくていい
インドが選んだのは、
勝者になる道ではない。
敗者にならない道だ。
そして、制裁は効かなくなる
制裁は、
- 奪えるとき
- 止められるとき
にだけ、意味を持つ。
代替があり、
複製でき、
再構築できる世界では、
制裁は
ただの政治的ジェスチャーになる。
RISC-Vは、
その地面を静かに整えている。
次章では、この構図が
なぜ今になって一気に現実化したのか。
そして、
なぜ「10年前には成立しなかったのか」を
時間軸から解き明かす。
ここが、
この物語の最後の分岐点になる。
最終章|なぜ「今」なのか
──10年前には成立しなかった構図
RISC-V × Linux × JavaScript。
この組み合わせは、
理論上は10年以上前から可能だった。
だが、当時は成立しなかった。
なぜか。
理由①:クラウドが「敵」だった時代
10年前、
クラウドは主権の敵だった。
- データは外に出る
- 計算資源は借り物
- 国家ITはクラウドに殺される
そう信じられていた。
だが今は違う。
- クラウドは学習の場
- 設計の試験場
- ローカル実装の雛形
として扱われている。
RISC-V設計も、
Linuxビルドも、
JSランタイムも、
クラウドで鍛えてから自国に持ち帰る。
この循環が見えた瞬間、
恐怖は消えた。
理由②:Linuxが「完成」してしまった
かつてLinuxは、
未完成だった。
- ドライバが足りない
- 商用に耐えない
- 統一感がない
だが今のLinuxは違う。
- サーバ
- 組み込み
- クラウド
- 開発環境
すべてを飲み込んだ。
もはや改良ではなく、
維持と最適化の段階に入っている。
国家基盤として使うには、
ちょうどいい“枯れ方”だ。
理由③:JavaScriptが「裏切らなかった」
最大の要因は、
JavaScriptだ。
- 仕様が壊れない
- 後方互換が異常に強い
- 実装が複数存在する
誰も支配していないのに、
誰も裏切らない。
これは、
国家にとって致命的に魅力的だ。
RISC-Vが命令を開放し、
Linuxが地面を整え、
JavaScriptがアプリを統一した。
三者が、
同時に成熟した。
これが「今」だ。
インドは未来を独占しない
重要なのは、
インドがこの未来を
独占しようとしていない点だ。
- Canonicalと組む
- グローバルに公開する
- セカンドソースを歓迎する
覇権を取らない代わりに、
排除されない立場を取った。
これは賢い。
そして、誰も主人公ではなくなる
この世界には、
- 王はいない
- 中心もない
- 勝者もいない
だが、
- 止まらない
- 詰まない
- 奪われない
インフラだけが残る。
国家にとって、
これ以上の勝利はない。
エピローグ|CPUは静かに政治を終わらせる
かつてCPUは、
覇権の象徴だった。
今、CPUは
政治を無力化する道具になりつつある。
インド × Canonical × RISC-V。
それは革命ではない。
ただ、
静かで、
しぶとく、
壊れない未来の設計図だ。
そしてこの設計は、
もう誰にも止められない。



