スーパーで、一枚の値札が目に留まった。
茨城県産コシヒカリ 5kg、本体価格1,990円。
たった10円。
しかし、この10円には、一年以上続いた「令和の米騒動」の空気が詰まっている。
国の政策だったのか。
流通の問題だったのか。
円安や肥料価格、人件費の上昇だったのか。
あるいは、新たに始まった先物市場の影響だったのか。
原因については様々な議論がある。
だが、生活者にとって原因はもう重要ではない。
毎週スーパーで見続けたのは、理屈ではなく値札だった。
国内の米市場は、長年「食料安全保障」という大義名分のもとで守られてきた。
だから国民も、その仕組みを受け入れてきた。
しかし平時であるにもかかわらず、主食は2倍近い価格になった。
高い関税で守られているはずの国内米より、輸入米のほうが安いという光景まで生まれた。
そして今、在庫は積み上がり、新米の季節を迎えようとしている。
5kg 1,990円。
この値札を見て、多くの日本人が心の中でつぶやいた言葉は、おそらく同じだろう。
「ようやく、普通の値段に戻り始めた。」
それは値下げを喜ぶ声ではない。
安心して主食を買える暮らしを、ただ取り戻したいという、ごく当たり前の願いなのである。

米価高騰で日本人は何を学んだのか──市場は、その沈黙の怒りを見誤った
令和の米騒動で日本人が本当にNOを突きつけたのは米ではなく「米相場」だった。価格は需要と供給で決まるという経済の原則、Fear Driven Marketing、半導体市場との対比から、市場と文化の違いを考察します。

