CPU史 第3章|8008・8080――CPUが「コンピュータ」になる

CPU史 第3章|8008・8080――CPUが「コンピュータ」になる TECH

1971年、Intel 4004はCPUを1枚の小さなチップへ押し込んだ。

それまで多数のICや回路で構成されていた演算・制御機能が、わずか数ミリ角のシリコンの上に載った。

これは間違いなく革命だった。

しかし4004が生まれた場所は、汎用コンピュータの世界ではない。

日本のビジコンが開発していた電卓だった。

4004は「CPUを1チップにできる」ことを証明した。

では、その小さなCPUを買ってきて、メモリをつなぎ、入出力装置をつなぎ、プログラムを書けば――。

自分でコンピュータを作れるのではないか。

1970年代前半、マイクロプロセッサはそこへ向かって動き始める。

そして、その歴史は4004をそのまま8bit化したところから始まったわけではない。

もう一本、別の道があった。

4004とは別の道から来た8008

Intel 8008は1972年4月に発表された8bitマイクロプロセッサである。

4004の登場からわずか数か月後なので、製品番号だけを見れば、

4004

8008

8080

と順番に進化したように見える。

だが、実際の歴史はもう少し面白い。

8008は、4004とは別のプロジェクトから生まれている。

出発点はComputer Terminal Corporation、後のDatapointだった。

同社はDatapoint 2200というプログラム可能な端末を開発しており、そのCPU部分を半導体へまとめる構想を持っていた。Intelは1969年末から1970年にかけてこの計画に関わり、後に8008となる「1201」の開発を始める。

ところが開発は遅れ、Datapoint 2200そのものはTTLなどの個別ICを組み合わせたCPUで製品化された。

つまり妙なことが起きた。

8008の命令体系の祖先となったコンピュータのほうが、8008より先に完成してしまったのである。

最終的にCTCはIntel製プロセッサを採用しなかった。

しかしIntelは、この設計を捨てなかった。

他社からも関心が寄せられていたことから開発を続け、1201を汎用品として販売する権利を確保する。そして4004との製品上の連続性を印象づける「8008」という名前を与え、1972年に市場へ送り出した。

したがって8008を、

「4004を8bitに拡張したCPU」

と理解すると、歴史を取り違える。

4004と8008は別々の要求から生まれた。

ただし、二つの流れはIntelの中で合流する。

4004が「CPUを1チップにできる」と示し、8008は「そのCPUは電卓よりはるかに広い仕事をさせられる」と示したのである。

8bitになればコンピュータになるのか

8008は8bitのデータを扱えた。

これは4bitの4004より、文字やデータを扱うコンピュータには都合がよい。

だが、

8bit CPUだから汎用コンピュータが簡単に作れる

というほど話は単純ではなかった。

8008が直接扱えるメモリ空間は16KBだった。

当時としては決して無意味な容量ではない。

実際、8008を使ったコンピュータも作られている。1974年にはSCELBI 8Hが販売され、同じ年には『Radio-Electronics』誌に8008を使ったMark-8も登場した。

すでに「マイクロプロセッサでコンピュータを作る」という発想は現実になりつつあったのである。

問題は、それがまだ簡単ではなかったことだ。

8008は18ピンのパッケージに収められていた。

ピン数が少ないことはチップとしては小さく安価にできる利点でもあるが、外部のメモリや入出力回路と接続する側から見ると話が変わる。

限られた端子を使って複数の信号をやりくりしなければならない。

8008から一台のコンピュータを組み上げようとすると、その周囲にかなりの回路が必要になった。

後に8080を設計することになる嶋正利は、当時の8008について、システムとのインターフェースを構成するために約30個ものTTL ICが必要だったと回想している。

ここに重要な違いがある。

CPUが1チップになったことと、CPUを使って簡単にコンピュータを作れることは同じではない。

8008は可能性を示した。

だが、その可能性を製品にするには、まだ電子回路設計者のかなりの腕力が必要だった。

「システムとして使えるCPU」を作る

Intel内部でも8008の限界は認識されていた。

Federico Fagginは8008の顧客から、より大規模で複雑なソフトウェアを作ろうとすると制約が大きいという声を聞いていた。Intel自身も、8080はそうした8008利用者からの要求を受けて設計されたとしている。

ここで再び、日本人技術者が登場する。

4004の開発に深く関わった嶋正利である。

ビジコンを離れた後、嶋は1972年11月にIntelへ入社し、Fagginらと8080の開発に取り組んだ。

嶋の回想が興味深い。

8008の問題は、単に性能が低いことではなかったという。

「system concept」が足りなかった。

CPU単体だけを見るのではなく、それを使って実際にコンピュータを構成する人間の立場から設計しなければならない。

その思想が8080には入っていった。

1974年に登場した8080も、8008と同じ8bit CPUである。

だが、中身は大きく変わった。

扱えるアドレスは16bitとなり、メモリ空間は64KBへ広がった。

スタックも8008のようなCPU内部の限られた構造ではなく、16bitのスタックポインタを使ってメモリ上に置けるようになった。

40ピンパッケージを採用したことで外部回路との接続もしやすくなった。

Intelによれば処理能力も8008のおよそ10倍に達した。

数字だけ並べれば、

16KBから64KB。

18ピンから40ピン。

より高速なCPU。

となる。

しかし歴史的に重要なのは数字そのものではない。

設計者が見ていたものが変わったのである。

8008では、

「1チップの8bitプロセッサを作る」

こと自体が大きな挑戦だった。

8080ではその先へ進み、

「このCPUを中心にして、実用的なコンピュータを作る」

ことが設計の前提になった。

CPUは単体の半導体製品から、システムの中心へ変わり始めた。

360ドルで買える「コンピュータの頭脳」

もう一つ、大きな変化があった。

8080は特定企業のためだけのCPUではなかった。

Intelはこれを汎用品として販売した。

1974年当時の8080の価格は360ドルだった。

現代の感覚なら、CPUを部品として買うことに何の不思議もない。

自作PCならCPUを選び、マザーボードを選び、メモリを選ぶ。

しかし1970年代前半に起きた変化は、それよりずっと根源的だった。

半導体メーカーからCPUを一個買ってくる。

そこへメモリと入出力回路を接続する。

そしてプログラムを書く。

すると、

自分たちのコンピュータができる。

コンピュータメーカーでなくてもいい。

巨大企業でなくてもいい。

大学の大型計算機センターを持っていなくてもいい。

電子機器メーカーでも、研究者でも、腕に覚えのある技術者でもいい。

CPUという「コンピュータの頭脳」が部品として市場に流通したことで、コンピュータを作る主体そのものが増え始めた。

Intelで8080を率いたFagginは後年、この変化を端的に表現している。

4004と8008は可能性を示した。

8080が、それを現実にした。

そして、その意味を最も派手な形で証明する会社がニューメキシコ州アルバカーキに現れる。

机の上にやってきたAltair 8800

Micro Instrumentation and Telemetry Systems。

略してMITS。

Ed Robertsが率いる小さな会社だった。

MITSはもともと模型ロケット向けの電子機器や電卓キットなどを販売していたが、電卓市場の価格競争によって経営が苦しくなっていた。

Robertsは次の商品として、Intel 8080を使った小型コンピュータを考えた。

それがAltair 8800である。

1975年1月号の『Popular Electronics』は、Altair 8800を表紙に大きく掲載した。

表紙には、

「市販機に匹敵する世界初のミニコンピュータ・キット」

という威勢のいい言葉が躍った。

「世界初のパーソナルコンピュータだったのか」という議論には、ここでは深入りしない。

Altair以前にも小型コンピュータは存在したし、8008を使ったマイクロコンピュータもあった。

重要なのは別のところにある。

Altairは売れた。

しかも、予想をはるかに超えて売れた。

『Popular Electronics』掲載時のキット価格は395ドル。完成品は498ドルと案内されている。Robertsは200台ほど売れれば採算が取れると考えていたが、Smithsonianによれば3か月で4,000台もの注文残を抱えることになった。

マイクロコンピュータが、一部の技術者による実験ではなく、

市場になった。

その瞬間だった。

キーボードも画面もないコンピュータ

ただし、Altair 8800の写真を見て、現代のPCを想像してはいけない。

基本構成にはモニターもなければ、キーボードもない。

外部記憶装置もない。

初期の基本システムに搭載されたRAMは、わずか256バイトだった。

256KBではない。

256バイトである。

操作するには前面に並んだトグルスイッチとLEDを使う。

Altairの操作マニュアルには25個のスイッチと36個の表示・状態LEDが並び、基本操作だけなら15個のスイッチと16個のLEDを使えばよい、と説明されている。

「だけ」と言われても困る。

プログラムを入力するには、アドレスを指定し、8bitのデータをスイッチで設定し、メモリへ書き込む。

次のアドレスへ進む。

また8bitを設定する。

それを繰り返す。

画面に、

Hello, world!

と打ち込めば済む世界ではない。

だが、1975年の人々が見ていたのは不便さではなかった。

目の前の箱の中にIntel 8080が入っている。

スイッチを操作すれば、自分が入力した命令を実行する。

LEDがその結果を返してくる。

昨日まで「コンピュータ」といえば、企業や大学や政府機関の設備だった。

それが今、

自分の机の上にある。

256バイトしかないことより、こちらのほうがはるかに重要だった。

ハードウェアの次に、ソフトウェアがやってくる

そして、コンピュータが売れれば次の需要が生まれる。

プログラムである。

Altairの記事を見たPaul AllenとBill Gatesは、このコンピュータ向けのBASICインタプリタを作れるとMITSへ持ちかけた。

面白いことに、二人は開発時点でAltair本体を持っていなかった。

Allenが以前作っていたIntelプロセッサのシミュレータなどを利用し、DEC PDP-10上で開発を進めた。

完成したBASICは1975年、MITSでのデモに成功する。これが後のMicrosoftにつながっていく。

ここで歴史に新しい要素が加わった。

8080というCPUがある。

それを使ったAltairというコンピュータがある。

そして、その上で動くBASICがある。

CPUだけではない。

CPU上で動くプログラムにも価値が生まれ始めた。

同じころ、もう一人の人物も8080の上で重要なソフトウェアを作っていた。

Gary Kildallである。

CP/M――コンピュータが違っても、ソフトウェアを持っていく

KildallはIntelのマイクロプロセッサ開発システムにも関わり、Intel向けにPL/Mという高級言語を開発していた。

1974年、彼はIntel 8080を使った開発システムIntellec-8とフロッピーディスクを扱うためのOSを作る。

それがCP/M――Control Program for Microcomputersだった。

ただし、1975年のAltair登場と同時にCP/Mが一夜にして標準OSになったわけではない。

Kildallと妻Dorothy McEwenがDigital Researchを設立してCP/Mを本格的に販売するのは1976年であり、その後、多くの8080系マイクロコンピュータへ広がっていく。1970年代後半になって、CP/Mはマイクロコンピュータを代表するOSへ成長した。

ここでも重要なのは製品名そのものではない。

8080を中心とするコンピュータが増える。

それらで使えるOSが作られる。

OSの上でアプリケーションが作られる。

するとCPUの価値は、

「1秒間に何回計算できるか」

だけでは測れなくなってくる。

そのCPUを使ったコンピュータがどれだけ存在するか。

その上で何が動くか。

誰がプログラムを書いているか。

CPUの周囲に、目に見えない資産が積み上がり始めたのである。

まだ小さな芽にすぎない。

しかし、この芽はやがてCPUの歴史そのものを左右するほど大きくなっていく。

CPUを買えば、コンピュータを作れる

4004が登場したとき、歴史上の大事件はシリコンの上で起きた。

巨大だったCPUが、1枚のチップになった。

8008は、その小さなCPUが電卓だけのものではないことを示した。

文字を扱い、プログラムを実行し、汎用的なコンピュータの中心になれる可能性が見えてきた。

そして8080は、その可能性をシステムとして現実的なものにした。

64KBのアドレス空間。

より扱いやすい外部接続。

メモリを利用するスタック。

大幅に向上した性能。

だが、8080が歴史を変えた最大の理由はスペック表の中にはない。

誰でも買えたことである。

MITSのような小さな会社が8080を買い、Altair 8800を作った。

雑誌がそれを紹介した。

何千人もの人々が注文した。

そのコンピュータにBASICを書く者が現れた。

OSを書く者が現れた。

周辺機器を作る者が現れた。

コンピュータを作るために、自分でCPUを設計する必要はもうない。

CPUメーカーから一個買ってくればいい。

CPUを買えば、コンピュータを作れる。

この単純な事実が、コンピュータ産業の入口を一気に広げた。

そして市場が生まれれば、次に起きることも決まっている。

もっと安くできないか。

もっと使いやすくできないか。

マイクロプロセッサは、発明の時代から競争の時代へ入ろうとしていた。

参考・出典

本章の執筆にあたり、以下の資料を参照しました。